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遊びの​ギャラリー1979 、
期間限定ショップ、​
GINZA CREATIVE SELECTS

キャンバス トート バッグに​夢中 ? ! 

how to live 2025 勝屋まゆみ

2025年6月25日​(水)​-​  7月1日​(火)

「愉しい​暮らしの​発見」を​テーマに​キャンバス生地で​もの​づくりを​行なっている​〈how to live​(ハウ・トゥ・リヴ)〉。​丈夫で​耐久性が​あり、​洗う​ほどに​やわらかくなっていく。​今回の​個展でも、​そんな​昔ながらの​シャトル織機で​織られた、​耳付きの​キャンバス生地の​魅力を​生かした​バッグを​中心に​ご紹介します。

個展に​向けての​話を​伺おうと、​〈how to live〉を​主宰する​勝屋まゆみさんの​アトリエを​訪れたのは​4月下旬の​こと。​外は​初夏の​始まりを​実感する​陽気。​呼び鈴を​押すと、​清々しい​ブルーの​シャツに​デニム姿の​勝屋さんが、​明るく​迎えてくれた。​「持ち物は​主に​似る」と​いうが、​なる​ほど​その​通り。​さっぱりと​した​飾り気の​ない​人柄に、​ラフな​格好が​よく​似合う。

「カジュアルな​スタイルが​好きなのよ。​ファッションに​限らず​持ち物も​インテリアも、​使えば​使う​ほど、​その​ものらしさが​出てくる​ものが​好きなんです。​知らず知らずの​うちに、​これの​影響を​受けているのかも」

そういって​見せてくれたのは、​『チープ・シック』と​いう本。​1975年に​アメリカで​オリジナル版が​出版され、​日本語翻訳の​初版は​1977年に​草思社より​発行されている。
本と​しては​「チープだけど​シック」と​いう​考え方を​軸に​した、​おしゃれに​ついての​哲学書的な​内容だが、​勝屋さんが​この本を​読んで​感銘を​受けたのは、​時代を​超えても​魅力的に​映る​ものが​ある、と​いう​ところ。​一時の​流行で​廃れてしまう​ものではなく、​ずっと​新鮮に​映る​ものこそが​「本物」であり、​「本物」だから​こそ、​時代を​超えていける。

カテリーヌ・ミリネア、​キャロル・トロイ 著/片岡義男 訳​(草思社)。​発売から​もう​すぐ​50年を​迎える​今日でも​色褪せない、​不変の​ファッションバイブル。

〈how to live〉で、​キャンバス生地を​使った​アイテムを​展開しているのも、​そんな​普遍的な​「本物」を​つくりたいと​いう​思いから。

何年経っても​「いい」と​感じる​ものを​つくりたい。

「キャンバスの​アイテムは、​長く​使えば​使う​ほど、​その​良さを​実感できるんですよね」ただ、​キャンバス生地と​いっても、​織り機に​よって​でき上がる​布帛の​風合いは​さまざま。​〈how to live〉で​使っている​昔ながらの​シャトル織機で​織られる​キャンバス生地は、​糸に​かかる​テンションが​非常に​弱く、​織り​上がりが​ふっくらと​しているのが​魅力だ。​また、​糸に​布糊を​つけて​織られているので、​最初は​パリッとした​印象だが、​洗えば​洗う​ほど、​シャトル織機ならではの​風合いが​あらわれるのも、​大きな​魅力。
「うちで​使っている​キャンバスには、​生地自体に​存在感が​あるんです。​だから、​なるべく​手を​加えずに、​その​良さを​引き出すのが​私の​仕事だと​思っています」

その​絶妙な​もの​づくりの​センスは、​好きな​ものを​深堀りする、​勝屋さんの​日々の​観察眼から​培われる​ものなのだろう。
好きだなとは​思っても、​なぜ​好きなのかって​いうのは、​なかなかわからないじゃないですか。​だから​気に​なる​ものは、​取っておくんです」

左上:左上の​フィギュアは​ニューヨークで​購入、​右下の​パッチン留めは​小さい​ころに​集めて​いた​もの。​どちらも​キッチュで​かわいい。​右上:仕事で​依頼された​ものを​除き、​自分用に​取ってある​生地の​サンプルは、​白や​未晒の​自然の​色ばかり。​左下:壁に​ピンで​差している​紙ものは​(右から)​お菓子の​用紙、​パリの​お店の​ショップカード、​ドイツの​デザイナー、​ディーター・ラムスが​手がけた​BRAUN社の​カード、​子どもの絵。​右下:パブロ・ピカソの​「鳩と​少女」は​美術館で​購入した​もの。​「額に​入れて​飾る​人も​いるんでしょうが、​私は​ピンでとめて​置くのが​好き。​こんな​ところも​“カジュアル好き”なんですよね」

子どもの​ころに​集めていた​パッチン​留めや​ニューヨークに​出張に​行った​際に​買った​ゴム製の​フィギュア、​雑誌の​切り​抜きに​生地の​サンプルなど、​その​すべてが​勝屋さんの​観察対象。​壁に​貼っている​ものは​「飽きたら​外す」のが​ルールだそうで、​「変な​言い方​なんですが、​その​ものを​通して​自分を​確認する​感じなんです」
そうして、​ある​日、​気づくのだ。​「これの​こういう​ところが​好きなんだ」って。

玄関に​飾ってある​キャンバスバッグは​2008年の​シリーズ。​「6サイズ展開して、​これを​含め​大きい​3つは​人気が​ありませんでしたが、​こういう​遊びも​おもしろいかなと​思って」

昔ながらの​シャトル織機で​織られた​キャンバス地には、​「セルビッチ​(耳)」が​ある。​以前は​その耳を​切り落と​してしまっていたが、​その​耳こそが​とても​美しく、​魅力的。​そう​思った​勝屋さんは、​耳を​隠すのではなく、​袋口に​当てがう​ことで​〈how to live〉の​意志を​明確にした。
その​原点とも​いえる​バッグが、​2004年に​誕生し、​今でも​つくり続けている​「Dice Bag​(ダイスバッグ)」​(トップ写真参照)だ。
ここに​掲げられているのは、​何年経っても​自分​自身が​「いい」と​感じる​ものを​つくりたいと​いう​思い。

「も​う​ずっと​前の​ことに​なるんですが、​大学卒業後に​パリへ​遊びに​行った​ときに​友人の​下宿先の​台所で、​その​下宿を​営むおば​あさんの​革靴を​見て、​感動したことが​あって。​明らかに​古い靴でしたが、​丁寧に​手入れされていて、​新品より​きれいに​見えた。​あの​靴のように、​一時​使っておしまいではなく、​その​人の​日常の​中で​長く、​愛着を​もって​使って​もらえる​ものを​つくっていきたいなと​思うんです。​だから​私は​トレンドに​合わせて​1シーズンに​何型も​提案しなくてはならない​ファッションデザイナーには​なれません」
もちろん〈how to live〉の​商品にも服は​あるが、​それは、​「大人が​キャンバスバッグを​持つ」提案と​して、​ひとつの​世界観を​示唆する​必要が​ある​ため。​子ども​や​学生が​持つものと​いう​イメージを​払拭し、​キャンバスバッグの​可能性を​広げる​ための​活動と​して、​さまざまな​工夫を​凝らしている。

過去の​DMを​見返すと、​これまでに​つくってきた​ものが​よく​わかる。​「革の​ブランドバッグではなく、​キャンバスバッグでも、​おしゃれに​着こなせると​いう​ひとつの​スタイル提案と​して、​このような​DMも​つくっていました」

小さい​頃から​失敗ばかり。
「“転んでも​起き​上がれる​人”が、​私の​なりたい​ものでした」

そも​そも、​小さい​ころは​編み物や​刺繍が​好きだったと​いう​勝屋さん。​自然と​もの​づくりへの​興味が​深まっていき、​大学では​テキスタイルデザインを​学んだ。​卒業後は​テキスタイルデザイナーと​して、​アパレルメーカーに​就職するも、​早々に​思わぬ壁に​ぶつかってしまう。​と​いうのも、​オイルショックの​煽りを​受け、​入社式前の​社員説明会で​「販売員と​して​店舗に​立って​もらう」と​命じられてしまったのだ。​そこで​率直に​「店舗勤めは​いつまでなのか」を​尋ねた​ところ、​「みんなを​扇動するような​意見は​言わないように」と、​まさかの​言葉を​浴びせられ、​入社を​辞退。
その後、​バイトを​しながら​伊東衣服研究所で​パターンを​学び、​卒業後は​テキスタイルメーカーに​就職したが、​そこでも​「今、​売れている​デザイナーの​服と​同じような​柄を​描くように」と、​意に​そぐわない​指示を​受ける​ことになる。​渋々​従っては​みた​ものの​9カ月で​退社。
「大学卒業​後ずっと​こんな​調子だったから、​会社に​勤めて​お給料を​いただくと​いう​生活は、​私には​できないのかもと​不安に​思っていました」

この​状況を​抜け出せたのは、​トレンドとは​一線を​画した、​独自の​もの​づくりの​姿勢を​貫く​〈JURGEN LEHL​(ヨーガンレール)​〉に​勤めるようになってから。

〈JURGEN LEHL〉は、​心やすらぐ​スタイルの​提案を​コンセプトに、​天然素材に​こだわった​もの​づくりを​行っている​ブランド。
勝屋さんは​ここで、​同ブランドの​デザイナーである​ヨーガン・レール氏の​アシスタントと​して、​オリジナルの​生地づくりを​担当していた。
「ネットなんてない​時代だから、​各地の​繊維工業試験場に​電話して、​“こういう​生地を​探しているんですが、​おもしろい​機屋さんは​ないですか​”って​尋ねて。​すると​みんな​親切でね、​いろんな​機屋さんに​車で​連れて​行ってくれました」
そこで​勝屋さんに​課せられた​重要な​任務は、​機械の​動きを​把握する​こと。​最大何色までの​表現が​可能なのか、​柄の​リピートは​何インチまで​可能なのかなど、​各機械の​能力を​知らない​ことには、​ヨーガン・レール氏が​柄を​描けないからだ。
「一言も​聞き漏らさないように​メモを​とりました。​だって​職人さんが、​わざわざ手を​止めて​説明してくれてるのに、​次に​また​同じ​ことを​聞くなんて​できないでしょう。​でも、​もともと​人を​観察するのが​好きなので、​とても​おもしろかった。​人の​名前は​覚えられないけど、​これは​覚えられたんです」
そうして​得た​知識と​機屋で​いただいた​サンプルを​まとめて​マップを​つくり、​ヨーガン・レール氏に​プレゼンするまでが、​ひとつの​流れ。
「もの​づくりに​対していっさい​妥協の​ない​人なので、とにかく​必死でした。​でも、​その​真摯な​姿勢を​とても​尊敬していました。​だから​仕事も​続けられたし、​がんばれた。​私に​とって​レールさんは、​本当の​意味での​仕事の​厳しさや​おもしろさを​教えてくれた​先生なんです」

もの​づくりを​通して、​わくわく​する​ことを​提供していきたい。

〈JURGEN LEHL〉に​5年勤めた​あとは​伊勢丹研究所に​転職し、​ファッションコーディネーターと​して、​〈カール・ラガーフェルド〉や、​〈カルバン・​クライン〉の​ライセンス事業の​仕事を​経験し、​36歳で​退職。​後に​友人とともに​〈アンジンクチン〉と​いう​ブランドを​立ち上げ、​テーブルクロスや​クッションカバーなどの​インテリアファブリックの​デザインを​手掛ける​ことに​なるのだが、​この​ときの​創作の​根底に​あったのも​「朽ち果てるまで​使われる​ものを​つくりたい」と​いう​思い。
「ブランド設立前、​友人と​インドネシアの​バリ島に​行ったんです。​その​旅先で​使い​込んで​薄くなった​サロンが​干されているのを​見かけて。​そこに​朝の​光が​当たると、​本当に​まばゆい​ばかりでね。​ボロボロに​なっても​やっぱり​魅力の​ある​ものは、​すごく​いいと​思った​わけ」
この​〈アンジンクチン〉での​7年間の​活動を​経て、​2000年、​勝屋さんが​48歳の​ときに​〈how to live〉が​スタートした。​「どう​生きる?​ どう​生きたい?」と、​自身に​問い​かけながら──。

「とにかく​失敗だらけの​人生で、​自分に​何が​向いているのかと​いうのを​ずっと​探し続けていました。​そんな​中、​何が​突破口に​なったかと​いうと、​行動した​ことなんですよね。​自分が​動くと、​いろいろな​人や​ものに​出会う。​それが​今に​つながっているんだな、と。​そして、​今、​仕事を​していて​一番​愉しいのも​人との​出会い。​機屋さんでも​縫製工場でも、​本物の​人が​いるのよね。​そういう​人と​仕事できるのが​愉しい」

商品カタログも​兼ねた​フライヤーは、​紙の​質感に​こた​゙わって​ポスター風に。​無造作に​壁に​貼っても​サマに​なるように​つくられている。

この​日も、​新たな​商品を​試作して​もらっている​工場から​連絡が​あった。​残念ながら​経過は​順調ではないようだ。
「うちの​商品は​キャンバスならではの​風合いを​生か​すために​裏地を​つけていないし、​丈夫で​厚みの​ある​生地だから​縫製も​難しいし。​簡単には​つくれないのよね。​それでも​みなさん​〈how to live〉の​ためにって、​愛情を​もって​懸命に​取り​組んでくださるのが​本当に​ありが​たいし、​そんな​みなさんと​一緒に​打開策を​考えるのが​愉しい。​だから、​バッグを​手に​するみなさんにも​愉しんで​ほしいのよ。​日常の​バッグと​しては​もちろん、​花瓶を​入れたり、​本を​入れたりして​インテリア小物と​して​使ってみたり。​これしか​使えないではなく、​ああ、​こういう​ことも​できるんだって​いう​発見が​あると、​毎日が​愉しくなるじゃない。​たかが​バッグですけど、​暮らしに​ワクワクを​提供できる​ブランドで​ありたいなと​思っています」


勝屋まゆみ​(かつやまゆみ)

武蔵野美術大学卒業。​〈JURGEN LEHL〉で​ヨーガンレール師の​アシスタントと​して​生地づくりを​担当。​伊勢丹研究所では​ファッションコーディネーターを​務める。​その後、​アクセサリーと​布雑貨ブランド「アンジンクチン」を​経て、​2000年より​〈how to live〉を​スタート。​キャンバス生地を​使った​布製品を​展開している。