メインコンテンツへ
さしものかぐたかはし「HOME」展|松屋銀座

7F
デザインギャラリー1953 
GINZA CREATIVE SELECTS

HOME

SASIMONOKAGUTAKAHASHI

2025年7月2日​(水)​-​  7月15日​(火)
リビング・ホビー

毎年、​春に​開催している​「銀座・​暮らしの​商店街」でも​おなじみの​家具工房​「SASIMONOKAGUTAKAHASHI」が、​満を​持して​「GINZA CREATIVE SELECTS」に​登場。​デザインギャラリー1953内を​会場に、​個展を​行います。
今回は​この​個展に​先立ち、​家具職人であり、​「SASIMONOKAGUTAKAHASHI」を​主宰する​高橋雄二さんに、​たっぷり​お話を​伺いました。
「SASIMONOKAGUTAKAHASHI」では、​どんな​ものを​つくっているのでしょう?

雨模様にも​かかわらず、​裏山の​青竹の​合間から​清々しい​光が​差し込んでいた。​その​静粛さとは​裏腹に、​隣から​ウィーンウィーンとに​ぎやかな​音が​聞こえてくる。​いかにも、​ここが​「もの​づくりの​現場」である​ことを​証明するかのように。

広島県熊野町。​高橋雄二さんが​この​地に​「さしものかぐたかは​し」を​設立したのは​2010年の​こと。​作業場と​その前に​建つ3坪の​小屋を​ショールームと​して​小さく​スタートしたが、​この​15年の​歳月の​間に​活動範囲は​広がり、​スタッフが​増え。​それに​伴い、​増設した​建屋の​奥が​この​「味見部屋」である。

入り口付近に​大きな​テーブル、​その先に​PC作業用の​デスク、​壁側にも​デスクが​ふたつ​並んでいて、​それらの​周囲に​たくさんの​椅子が​置かれている。
「勉強の​ために​名作と​呼ばれる​椅子を​いっぱい​集めていまして。​まぁ、​どうぞ」。
そう​言って、​勧めてくれた​椅子は、​イルマリ・タピオヴァーラが​デザインした​ドムスチェア。​やはり、​名作である。

「自分た​ちがつくった​ものを、​この​名作ぞろいの​部屋に​置いてみて、​違和感が​ないか​様子を​見ているんです。​実際に​使ってみて​問題が​ないのは​当然の​こと、​名作品と​比べても​見劣りしなければ​世に​出しても​いいと​いう​ことに​していて。​僕の​中では​味見の​時間なんですよね。​料理人は​つくった​ものを​一口​食べて、​味を​確認してから​人に​お出しするじゃないですか。​これは​その​味見に​近しい​行為と​いうか」
これまでに​集めた​数々の​名作椅子は​自社商品との​比較対象であり、​ライバルで​あり。​購入する​際は、​“デザイナーが​生きていた​時代の​ものを​買う”と​いう​ルールを​遵守してきた。
「とき​どき、​壊れた​ものが​ヤフーオークションに​出ているんですが、​それこそ​狙い目で。​なぜかと​いうと、​どこが​壊れているかも​知りたいから。​手直しして​使っているのも​結構​あります」
高橋さんが​駆け出しの​ころに​修理したと​いう​〈天童木工〉の​ダイニングチェアも​その​ひとつ。​発売から​60年以上​経つ今でも​販売され続けている​モデルだが、​チークと​ビーチの​組み合わせから​察する​ところ、​初期に​つくられた​もののよう。
「もともとは​お客様から​預かった​もの​なんです。​その後、​新調する​ことになったから、と​譲ってくださって。​その方が​ご自身の​身長に​合わせて​脚を​カットされていたので、​本来の​高さに​なるよう脚を​つけ足し、​剥がれていた​背板を​補修しました。​あと、​座板と​フレームの​接合部には​釘が​打たれていたんですが、​組み立て直す際、​僕は​釘を​使わず、​自分の​思う​方法で​組んで​みました。​オリジナルの​強度とは​違うんですが、​この​場合どれくらい​もつのか​実験中です」

それから、​かれこれ10年以上。​すぐに​良し悪しが​判断できないのが、​家具の​世界の​奥深い​ところ。
「巷は​SNSに​よる​瞬発的な​評価で​溢れていますが、​僕らの​仕事は​使い​始めて、​30年、​35年後に​ “いいね”と​言って​もらえるかもしれないわけで。​そこが​木工家具の​醍醐味であり、​自分の​もの​づくりの​軸と​なる​部​分かなと​考えています」

上:資料が​並ぶ棚の​中に​家具の​模型が。​手前は​ボーエ・モーエンセンの​J39の​模型。​本物の​椅子は​「味見部屋」で​愛用中。
下:家具が​見える​建屋の​奥が​「味見部屋」。​右の​小屋は​「さしものかぐたかは​し」の​設立当初に​ショールームだった​ところ。​その​奥が​作業場。

しかし、​もの​づくりと​言っても、​その​手法は​さまざま。​では、​なぜ木工だったのか。​その​発端は、​高橋さんの​幼少時代に​あるようだ。
「そう​いえば、​小さい​ころから​ナイフで​鉛筆を​削るのが​好きでした」
滑らかな​丸い​円錐形に​したり、​わざと​カクカクさせたり。​鉛筆を​削りたいが​ために、​文字を​書いている​みたいな​ 子供だったと​いう。​刃物で​木を​削るのが​好き。​その​好きな​作業が、​もの​づくりの​ひとつの​過程と​なったのは、​小学3年生の​とき。
「夏休みの​自由研究で、​工作が​得意な​父親に​教えて​もらいながら​パチンコ台を​つくったんですよね。​手で​ビー玉を​弾いて​遊ぶタイプの」
ホームセンターで​ベニヤ​(合板)を​買ってきて、​丸く​削って、​釘を​打って。​休み明け、​これを​提出すると、​先生は​大絶賛。​クラスメイトにも​大ウケで​ “みんなの​遊び道具” と​して、​壊れるまで​遊びつくされた。
「今、​振り返ると、​これが​自分に​とって​初の​木工作品だったと​思うんです。​この​成功体験が​あったから、​木工での​もの​づくりに​興味が​湧くようになったのかな、と」
やがて、​大工に​なりたいと​思うようになった​高橋さんは、​建築学科の​ある​大学に​進んだ。​建築学科なら​“大工に​なる方​法”が​わかると​思っての​ことだ。​ところが、​いざ学んで​みると​建築デザインの​ほうに​興味が​傾き、​学科の​コース分けの​際に​設計を​選択。​しかし、​選抜で​決まる​その​コース分けに​あえなく​落選し、​構造力学を​専攻する​ことになる。
「若い​自分は​そこで​ふてく​されまして​(笑)。​とたんに​楽しめなくなっちゃったんですよね」
大学は​卒業した​ものの、​目標を​見失ってしまった​高橋さんは、​郵便局で​配達の​仕事を​しながら、​やりたい​ことを​探す​日々を​おくった。
そんな​ある​日の​こと。​偶然、​出くわした​家具の​展示会である​映像を​目にする。​そこに​映し出されていたのは、​職人が​木を​削ったり、​漆を​塗ったりして、​家具を​製作している姿。
「僕、​スタジオジブリの​『耳を​すませば』と​『紅の​豚』が​大好きなんですが、​両方とも​ストーリーは​もちろんの​こと、​『耳を​すませば』なら、​聖司が​バイオリンを​つくっている、​『紅の​豚』なら、​壊れてしまった​ポルコの​飛行艇を​親族の​人た​ちが​修理している、​あの​風景が​すごく​好きで」
フィクションの​世界ではなく、​現実にも​この​世界が​ある。​その​映像に​刺激を​受けた​高橋さんは​「画面の​中の​人に​なりたい」と​思った​そうだ。​ 「家具職人に​なるんだ」と。

目を​見張るのは、​その後の​高橋さんの​行動力。​荷物の​集荷先で、​美術関連の​仕事を​していそうな​人に、​家具職人の​知り合いは​いないか声を​かけて​まわったと​いうの​だから、​驚く。​しかも、​その勘は​命中。​尋ねたうちの​一人に、​家具職人を​育成する​学校の​校長と​知り合いの​方が​いて、​進路を​アドバイスしてくれたのだそう。
「とにかく、​この​道だと​思ったんですよね。​当時、​僕は​27歳。​30歳までに​ “これで​生きていくんだ” と​いう​何かを​身に​つけたいと​いう​思いも​強く​あったように​思います」
その​覚悟のもと、​飛騨高山の​専門学校へと​進んだ​高橋さん。​ここで​基本的な​技術を​学んだ後は、​「日本の​木工」に​ついての​造詣を​深める​ため、​宮崎と​京都の​木工作家のもとへ。​両者の​工房での​修行を​経て、​独立。​「さしものかぐたかは​し」を​掲げた。

屋号を​平仮名に​したのは​「世界に​通用するような​家具職人、​家具工房に​なりたい」と​いう​思いから。​わざわざ​「made in JAPAN」と​銘打たずとも、​地元の​木材を​使い、​日本特有の​木工技術である​指物の​技術を​とり入れながら​もの​づくりを​行う​ことで、​日本発の​家具工房である​ことは​語れるはずだ。

2010年に​誕生した​「さしものかぐたかは​し」の​初の​オリジナルの​家具〈ロロスツール〉は、​その志を​象徴するような​商品と​いえるだろう。
座面に​ミナペルホネンの​生地を​使用した​布張りの​スツールなのだが、​ほか​でもない、​この​生地の​存在感に​惚れ込んだ​ことから、​製作が​スタートした。​ミナペルホネンの​代表である​皆川明氏に​手紙を​出し、​生地の​使用許可を​得て。​そうして​でき上がったのは、​その​まっすぐな​思いを​そのまま​形に​したような​素直な​デザイン。​絵画の​フレームのような​枠組みが​生地の​デザインを​引き立て、​家具で​ありながら、​オブジェのような​雰囲気を​醸し出している。​加えて、​腰掛けると​自然と​骨盤が​立つような​仕組みに​なっているのも​ニクイところ。​使いやすく、​且つ、​室内に​愛らしさを​もたら​すこの​椅子は、​紛れもなく​「さしものかぐたかは​し」の​アイコン的存在だ。

この​ロロスツールを​皮切りに、​テーブルや​ボードなどの​オリジナル家具を​続々と​発表。​また、​コラボ品の​製作を​手が​けるなど​「さしものかぐたかはし」と​しての​活動は、​どんどん​大きくなっていった。​しかし​その​一方、​高橋さん​自身は、​ある​悩みを​抱えるようになっていた。
「独立して​数年が​経ち、​いろいろやれる​ことも​増えてきたけど、​器用貧乏に​なってはいけないなって​思うようになったんですよね。​でも、​どんな​ものを​つくれば​いいのか……。​ロロスツールは​確かに​ずっと​つくり続けている、​うちの​アイコンでは​あるけれど、​じゃあ、​ずっと​この​路線で​いいのか、とか」
この​先、​何を​指針に​していく​べきなのか。​その​答えを​探す​最中、​イギリスに​旅した​高橋さんは、​ロンドンから​電車で​2時間くらい​走った​ところに​ある​ハイ・ウィカムと​いう​街で​1脚の​椅子に​出会った。
それは、​1600年代に​つくられた​ウィンザーチェア。​きれいな​状態なら​博物館行きの​代物だが、​脚が​カットされていた​ために​市場に​出回っていたらしい。​躓く​石も​縁の端。​迷う​ことなく​連れ帰った​この​椅子は​今、​「さしものかぐたかは​し」の​味見部屋に​ある。

「先ほど​お話した​名作椅子は​1950年から​60年ぐらいに​デザインされた​ものが​主なんですが、​この​椅子は​その​何倍も​生きている。​しかも、​デザイナーの​名前も​わからないのに​400年もの間、​大切に​手入れされながら​使われてきたんですよね。​時代も​場所も​超えて、​それが​今、​僕の​手元に​ある。​そのことに​とても​ロマンを​感じまして。​僕も​こんな​もの​づくりを​目指そうって。​自分なりの​ウィンザーチェアを​つくってみようって」

そうして​生まれた​椅子が、​こちらの​〈トト〉。

木の​座面に​丸棒の​背も​たれと​いう​ウィンザーチェアならではの​構造は​そのままに、​ベンチのような​ゆったりと​した​サイズで​つくられている。​深い​座面に​腰掛けると、​背も​たれの​カーブに​腰が​フィットし、​まるで​だれかに​包み込まれているような……・。​実は​これ、​「親と​子が​一緒に​座る​椅子」と​いう​アイディアから​生まれた​形なのだとか。
「きっかけは、​親しくしている​子ども​園の​園長との​会話から。​ある​とき園長に​ “もの​づくりって​どこ向けてやるべきだと​思う?​” と​投げかけられた​ことが​あって。​ “わからないです” と​答えたら、​園長は​ “未来に​向けて​つくる​もの​なんだよ” と。​たしかに、​その​通り。​その​言葉を​聞いて、​この​アイディアが​閃いたんです」
もし、​子どもの​物心が​つくころから、​親子一緒に​座れる​椅子が​家に​あったなら、​親の​傍らに​腰かけて​楽しい​時間を​過ごした​その​思い出も​含めて、​生涯愛着のもてる​1脚に​なるだろう​──。
「長く​愛される​もの」とは、​一人​ひとりの​未来の​ために​つくられた​もの。​その​ために​長持ちする​ものを​つくる。
目指すべき方​向と、​自分が​やれる​こと。​それが​高橋さんの​中で​つながった​瞬間だった。
「座面には​クリの​木を、​背も​たれの​7本の​丸棒には​ブナの​木を​使っているんですが、​どちらも​強度や​耐水性に​すぐれた​木材。​また、​この​木の​表情を​愉しみながら共に​暮らしていけるように​着色は​していません。​その​ために、​うちではなるべく​1本の​木から​同じ​家具を​つくるように​しています。​そうすると​木目の​雰囲気が​そろうから、​着色しなくても​美しい​仕​上がりに​なるんですよね」

それに​加えて​「さしものかぐたかは​し」らしい、​こだわりが​もう​ひとつ。​それは、​どこかに​必ず、​鉋​(かんな)を​使って仕上げる​箇所を​設ける​こと。
「大手の​メーカーの​品ともなれば、​均一的な​美しさを​保つために​機械や​サンドペーパーを​使ってきれいに​磨き上げる​必要がでてきますが、​うちのような​小さい​工房では​その​必要は​なく、​一つ​ひとつ納得の​いく​美しさを​追求できる。​そこで​大切に​なってくるのが​感覚なんです。​と​いうのも、​木には​木目が​あるから​場所に​よって​堅さも​違うし、​高低差も​あるし。​鉋で​削ろうと​すると、​それを​瞬時に​感じながら​手加減しなければいけない。​僕は​この​“木と​向き合って​仕事を​する​” と​いう​作業を​とても​大事に​しています」
美しい​線を​描いているか。​気持ちよい​手触りに​なっているか。​その​最終的は​判断は、​作り手の​美意識に​委ねられる。​だから​こそ​唯一無二の​存在に​なり得るのではないだろうか。

左上:一日の​大半を​過ごす作業場。​道具類は​使いやすいよう、​美しく​収納されている。
右上:壁​一面に​鉋が​ずらり。​どの​部位を​どのような​形に​削りたいかに​よって、​鉋の​形は​さまざま。
左下:鉋身の​部分に​名前の​刻印が。​家具職人に​とって、​いかに​道具が​大切なのかが​伝わってくる。
右下:高橋さん​自作の​鉋。​茶托を​削る​ために​つくった​もの。

例えば​〈トト〉の​場合、​背も​たれの​丸棒の​部分が​鉋で​仕上げられているのだが、​ここに​高橋さんらしさが​窺える。
「ここを​サンドペーパーで​磨いてしまうと、​つるんと​なめらかな​感じには​なるけど、​全体と​して​見た​ときに​締まらない​感じが​して。​でも、​鉋で​削ると​凛とした​存在感が​出る。​それは​鉋掛けの​わずかな​凹凸に​より、​すっと​一筋の​影が​立つからだと​思うんです」
とは​いえ、​高橋さんと​しては​技巧を​見せたいわけではない。​生活を​共に​する​道具と​して、​いかに​愛着を​もてる​ものを​つくれるか。​その​ために​できる​ことの​ひとつが​鉋仕事だと​考えている。​ぱっと​見だけでは​感じられないかもしれない​ディティールへの​こだわり。​でも​これを​手にし、​そばで​見たり、​実際に​使ったりしている​中で​感じられる​確かな​心地よさ。
「それを​突き詰めて​いきたいんです。​家具は、​家の​具なので」

「端材を​使いきりたい」と​いう​思いから​生まれた​フォトフレームも​家の具。​木目が​流れるように​組み合わせ、​金属の​釘を​使わずに​仕上げる​ことで、​端材を​審美的な​アイテムへと​昇華させている。

椅子や​テーブルは​もちろん、​お皿や​お箸も、​家の​中で​使われる​道具は、​すべて​家具。​この​スタンスのもと、​5月末に​新しい​ショールームを​オープンした。​名前は​「HOME」。
「どんな​ものを​つくっているんですか?と、​聞かれる​たびに、​空間から​お箸までとお答えしていたんですが、​ついに​自分たちの​空間を​もつことになりまして」

家と​いう​空間が​あってこその​家具。​その​ため、​商品を​販売する​際は、​空間づくりから​始まり、​そこで​家具を​体験していただく​ことが​何より​大事だと​考えてきた​高橋さんに​とって​「HOME」は、​ベースともいえる場。​そして、​そこには​大勢の​仲間が​存在する​──。
そんな​一人​ひとりへの​思いが​垣間見れる​ものが​ある。​それは、​2022年ごろから​使用している​新しい​欧文の​ロゴ。

新しく​オープンした​ショールームの​「HOME」では、​家具+食の​時間を​味わえる。​食事は​「ホームラン食堂」が​担当。

「パッと​見は​読みにくいかもしれないんですが、​Sのような​個性の​人も、​Aのような​個性の​人も​いる、​みたいな​感じで、​一文字一文字を​人に​例えて​デザインしました。​うちの​もの​づくりに​関わってくれている​人は​もちろん、​うちの​家具を​伝えたり、​使ったりしてくれる​人も​みんな、​チームの​一員だと​捉えて。​まぁ、​ゴレンジャーのような​感じですね​(笑)」

松屋銀座での​個展でも、​これまでと​変わらず、​「SASIMONOKAGUTAKAHASHI」の​空間が​用意される。​その​表札的役割を​果たす、​展示タイトルは​「HOME」。​お越しいただく​際には、​ぜひ、​この​空間で​家具の​使い心地を​体験して​ほしい。​毎日、​「おかえり」と​迎えてくれるような、​やさしく、​あたたかな​家具との​出会いが​あるはずだから。


高橋雄二​(たか​は​しゆう​じ)

1978年大分​県生まれ。​2010年、​広島県熊野町にて​「さしものかぐたかは​し」を​設立。​日本の​古くから​ある​「指物​(さしもの)」の​木工技術と​広島の​木材を​使いオリジナルデザインの​家具や​小物を​製作している。

Instagram @sasimonokagu_takahashi