その他|その他
アオイヤマダ、益子の手仕事に会う。手でつくること、踊ること、世界とつながること。
手仕事に魅力を感じてきたという、パフォーミングアーティストのアオイヤマダさん。9月17日(水)から23日(祝・火)に開催される「銀座・手仕事直売所」に先駆けて、栃木県・益子町を訪れた一日。楮(こうぞ)で編まれた「SOSAKUBAG」、陶芸家の親子が営む「創作工房 あくつ」、セレクトショップ「pejite」といった出店者のほか、民藝運動とゆかりの深い「濱田庄司記念益子参考館」にも足を運びました。「手でつくることに憧れがある」と語るアオイさんは、つくる人の物語に触れてなにを感じたのでしょうか。同行者である執筆者の野村由芽さんと、アオイさんの夫でもあるITOさんの写真による、日記のような記録のかたちでお届けします。
景色と色を編み込む。SOSAKUBAGの楮のバッグ
6月28日、土曜日の朝7時前。すっきりと晴れた朝、自宅の近所まで迎えに来てくれた車の窓から、朝日に照らされたアオイヤマダさんの笑顔が見える。運転しているのは、アオイさんの夫であり、今日の写真を撮ってくれるITOさんだ。
「おはようございます〜!」
東京から栃木県・益子町までは、約2時間のドライブ。銀座・手仕事直売所には全国から約100の作家や職人、デザイナーの手仕事が集まるなかで、今日はアオイヤマダさんと益子を拠点にものづくりにかかわる人たちに会いに行く日。
アオイさんは「これよかったら」と卵のサンドイッチを手渡してくれた。卵の黄色と、きゅうりの緑が鮮やかで、走る度にうつろう太陽の光をよく反射する。アオイさんは、夫のためにつくっているお弁当の写真をInstagramに記録している。料理をすることはきっと、人が生きるうえでもっとも身近な手仕事のひとつ。
「つくっている人の顔が見えるものが好き。手仕事に魅力を感じるんです」
アオイさんは、踊る人だ。そしてアオイさんが踊る場所の多くは、劇場や舞台のうえではなく、路上や漁港、お店のなかなど、生活の片隅。これから会いに行く、その土地に根付いた手仕事と、自らのからだをさまざまな土地と呼応させて生まれるアオイさんの踊りには、もしかしたらなにか重なるところがあるのかもしれない。高速道路を降りると田園が広がった。アオイさんは窓をあけて、風を受けながら気持ちよさそう。
/)
「わあ、広い。きれい。青い。益子ははじめてなんです。ちょっと、(地元の)長野に似てる」
栃木県芳賀郡益子町。関東平野の北に位置するこの町は、1960年に第一回目を迎えた「益子陶器市」や「益子焼」で全国的に知られる。1926年に柳宗悦や河井寛次郎とともに民藝運動を立ち上げたひとりである陶芸家の濱田庄司が拠点にした地であり、焼物以外のクラフトの作家も多く集まっている。
「こんにちは。暑いですよね。遠いところまでありがとうございます」
一軒目に笑顔で迎えてくれたのは、楮(こうぞ)という植物を使ってバッグをつくる“SOSAKUBAG”の奥村草作さんと、妻で和紙作家の奥村紗希さん。グァ、グァ、グァ、と聞こえてくるのは、合鴨のペット・コナちゃん(5歳)だ。益子は、合鴨やアヒル、ヤギを飼っている人が多いのだとか。
/)
荷物を置いて、さっそくアトリエを見せていただくことに。アトリエは屋根が高く、奥に長い。もともとは野菜の加工場だったそう。
/)
白を基調にした空間にパイプや木の構造が剥き出しになっている雰囲気が居心地よく、手触りのある素材で編まれた、カラフルなバッグが楽しそうに並んでいた。アオイさんが、ピンクと紫の混ざったような鮮やかな色を指差した。
「わあ……かわいい。この色すごく好きです」
「これはラックっていうカイガラムシが染料。樹液を吸ったときの分泌液を使って染めた色です」
「自然の染料で、ぜんぶ染めてるんですか?」
「自然の染料もあれば、化学的な染料で染めているものもあります。それぞれに出せる色と出せない色があるんです。自然の染料は色が抜けやすく、移り変わる色の変化を楽しめる。化学染料は鮮やかな色に染められますよ」
/)
草作さんはうれしそうに、「僕がつくるバッグのいちばんの特徴は、色なんです」と言う。その言葉の通り、アトリエで色とりどりに手染めされたSOSAKUBAGは、はっと目をひき、ひとめ見たら忘れられない存在感がある。楮の皮の幅が広いため、編まれた様子がブロックチェックのようにも見えて、ナチュラルな素材を使っているけれどモダンな塩梅だ。ひとめぼれするタイプの夢に出てくるみたいなバッグである。
/)
「編むところを体験してみましょうか」
自宅の2階を、編む場所として使っているようだった。ウォークインクローゼットに、赤、橙、黄、黄緑、青……とさまざまな色の楮の皮が、ひっかけられるようなかたちで収納されていた。こういうカラフルな熱帯の植物がクローゼットに生えているみたい、と思う。
「アオイさんのなかで、どんなバッグをつくりたいか想像していただいて。そのうえで、ここから好きな色を選んでくださいね」
「迷う……!」と言いながらもアオイさんは、直感的な様子で楽しそうにさくさくと色を決めていく。選んだのは、紫がかったピンク、ターコイズブルー、黄緑……。
/)
「アオイさんは赤がお好きなんですね。SOSAKUBAGは、地域によって求められる色が違うんですよ。寒い地域だと、水色や黄色、赤みたいなビビッドな色のバッグが人気です。僕自身は青色が好きなんですけど、海が近くない場所で育ったので、焦がれるような気持ちがあって。“ない色”を求めるのかなと思います」
「おもしろい。ごはんで言うと、自分にない栄養を選ぶみたいな感じに似ているのかな? わたしは、紫がかった赤やピンクと緑の組み合わせが好きです。そういえば前に出会った人がインコを10羽飼っていたのですが、コンクリートの職人さんだったんです。いつも仕事で灰色ばかりを見ているから、インコを見るとすごく癒されるって。その話を思い出しました」
/)
/)
「手袋をしないとケガの心配があるのですが、質感は楽しめます」と草作さんに言われ、素手で編むことを即答。力を込めて編んでいくアオイさん。
いまでこそ、たっぷりとうれしそうに自らのものづくりについて語っている草作さんだけれど、SOSAKUBAGに行き着くまでには、長い時間がかかったのだと教えてくれた。
「子どもの頃は小説家や映画監督になりたかったのですが、印刷会社で広告の仕事に就きました。その後も、花火師、ライターなどいろいろ職種を経験したんです。父が彫金の伝統工芸士で、母も着物の染色をやっていたこともあって、どこかで自分でつくりたいという気持ちがありました。あと、“夫婦でしかできないことをやりながら、生活したい”というふうにも思っていて。
でも、文章でも映像でも、あまりうまく表現できなかったし、飽きっぽくてどれも続きませんでした。そんなときに、妻の仕事でもある和紙の原料の楮が身近にたくさんあったので、編んでみたら日が暮れるまで編み続けてしまって。これまでの自分には考えられないことでした」
/)
編みはじめた当初は、いわゆる“カゴバッグ”と聞いたときに想像するような、編み目のこまかい、端正なバッグを編んでいた。けれどあるとき、いまのSOSAKUBAGにつながるカラフルなバッグが頭のなかにひらめいた。「本当に、天啓みたいに降りてきたんです」。そこから、イメージをかたちにするのにさらに3年。楮の素材の扱いや、染めの研究を重ね、納得のいくバッグが完成した。
はじめは趣味の範疇でほそぼそとつくっていたものが、「わたしも欲しい」と知り合いづてに評判を呼び、展示にも招かれるように。そこからは「わらしべ長者みたいに」、全国の展示や催事にも活動の場を広げていく。
「降りてきた」と草作さんは言うけれど、ほとんどのものごとは、きっと地続きだ。だから、「自分の表現や、生きる道をずっと探していた」草作さんの粘り強い行動と願いが編みあわされ、実を結んだのが、SOSAKUBAGなのだと思う。
/)
SOSAKUBAGはメンテナンスにも対応。「おうちのお線香の匂いがしたり。人それぞれの使われ方が出るのですが、どんな使われ方もうれしいです」
「益子の新緑の時期は、葉っぱが光を反射して、銀色になるんです」
ようやく辿り着いたこの土地の新緑は銀色なのだと、大切そうに人に伝える姿。満たされた心から生まれる、色とりどりのバッグを見ていれば、こんなふうに思う。なにかになりたかったけれど、なれなかった悔しさ。なかなかうまくできないもどかしさ。その経験の一つひとつを自分のなかでなかったことにせず、それでも心をひらくこと。新しい世界に飛び込み、自分の感覚にぴったりくるものを探し続けることを諦めないこと。そんな草作さんのつくるSOSAKUBAGは、その人自身の大切な感覚や景色を迎えに行く時間のそばにいてくれるバッグなのだろう。
「アオイさんのバッグの続きを仕上げて、お送りしますね。ぜひ手仕事直売所に持ってきていただけたらうれしいです」
「すごく楽しみにしています」
/)
草作さんと紗希さんが笑顔で手をふる様子が小さくなっていき、「この景色を写真に撮っておきたかったな」と、アオイさんが噛み締めるようにつぶやく。その姿を見て、こういうふうに覚えておきたかった景色もきっとまた、アオイさんのなにかの表現のなかに編みこまれていくのかもしれないと思う。
親子で営む、創作工房 あくつ。阿久津忠男さん・阿久津雅土さんの器
車を10分ほど走らせ、小高い丘の上へ。次に会いに行ったのは、親子二代で「創作工房 あくつ」を営む、陶芸家の阿久津忠男さん、阿久津雅土さん。自身も絵付けをしていたという忠男さんの妻の久美子さんとともに迎えてくれた。
/)
「久しぶりです〜!」
アオイさんと忠男さんが会うのは、去年の銀座・手仕事直売所ぶりだそう。まずは腹ごしらえということで、益子町の隣の市貝町の畑で四季折々の作物を育てる、“わたね”の夏至弁当をみんなでいただく。みやまこかぶ、春蒔き五寸にんじん、みさきキャベツ、島オクラ……。献立を眺めているだけで舌がうるおい、口に含めれば喉をころがすのが惜しいよう。気になって調べてみると、わたねの畑には、初夏になると蛍が舞い、日中はキジが親子で駆けまわるのだとか。
「僕も食べるのは、はじめてでね。喜んでもらえてよかった」
ずっとにこにこしている様子が印象的な忠男さんは、現在75歳。益子に来たのは22、23歳の頃だというから、もう54、55年になる。目の醒めるような深みのある艶やかな瑠璃釉が特徴的だ。
「妻の久美子と独立しようとなって、場所を探してね。山のなかの、この場所に決めた。25歳ぐらいで独立してね。1年目で東京セントラル美術館にグループ展で出展して。黒田草臣さん(陶磁器の企画展示や、執筆などをおこなう。黒田陶園代表)がいろんな雑誌で、僕の瑠璃釉を紹介してくれた。自分ではなにがいいかわからなかったんだけど、それで、続いちゃって」
アオイさんが尋ねる。
「忠男さんが、どうして青色を選んでいるのか気になっていた。さっきSOSAKUBAGの草作さんは、“地域によって好まれる色が違う”、“自分にはない色を選ぶ”と言っていて」
「なんでだろうねえ。たとえばこれは青色ではないんだけど、正倉院に“白瑠璃碗”という名前のペルシャでつくられたガラスの碗があったり。濱田庄司さんの塩釉の作品や、河井寛次郎のベートーベンと名づけられた大きな皿にも瑠璃色のものがあったりね。そんないろんなこともあって、瑠璃釉が好きになっちゃって……。雅土は最初は勤めようと思っていたけど、やっぱり焼物をしたね」
/)
左から、阿久津忠男さん、阿久津雅土さん
「二人の作風は、違うんですか?」
「僕は瑠璃釉、雅土はいろんな色」
雅土さんの陶器は、柔らかな青色や緑色、空色のような灰色。しっとりとした質感がすべすべと気持ちよさそう。焼き物の本場である西日本で学ぶことも考えたけれど、やはりすぐにつくりたいと思い、せっかくこういう環境なのだから、と益子で制作をはじめた。二人とも「栃木県窯業指導所」に入所し、忠男さんは1年、雅土さんは釉薬を学ぶためにさらに1年通った。
「最初はけんかして大変だったね」
「でも最近は減ってきてるんじゃないかな」
雅土さんは続ける。
「どちらもろくろで日常使いの器をつくるので、基本は一緒なんですけどね。もともとうちは、父が瑠璃色、母が絵付けをやっていて。当時は、絵付けのほうが華やかなんで人気だったんですよ。僕は瑠璃色もいいなと思ったけど、父の真似をして二人して同じことやったら意味ないなと思って。指導所に通ったときに、釉薬でいろんな表現ができるのは楽しいなと感じて、自分でもやるようになって。それがテーマです」
雅土は、何万ピースもの釉薬の勉強をしてね……。お互いの釉薬のことは、わからないし、口を出さない。そんなふうに言葉を交わしあうふたりが確かに影響をもたらしあってきた時間の流れを、少しだけお裾分けさせてもらうのは豊かなことだと、耳を澄ませる。
アオイさんがろくろを体験すべく、工房へ。庭先に並べられた雅土さんの大きなバケツの数々を、アオイさんは興味深そうにじっと眺めている。
/)
「これはなんですか?」
「いろいろな釉薬を試したものを、そのまま置いてあります。放置してあるみたいな感じになってしまってますけど……。焼き物って、最後は窯に託すんですよね。窯を開けるまで緊張します。こうやって時間が経つと釉薬の成分も変わっていくし。自然物だからコントロールできなくて。大まかにこういう色を出したいとは考えるけど、焼いてみたらこうだった、ということが多いですよ」
/)
「実験みたいな感じなのかな? この庭にある、雅土さんの釉薬のパレットのようなものが、パフォーマンスをするときのわたしのなかにもあるかも、と思いました。器用に整頓されているわけでもなく、一見放置されているようにも見えるもの。使う理由もなければ、捨てる理由もないもの。でもそれが自分のパレットとして、自分のなかにたまっていくんです。
ひとつの色を突き詰めるプロにはなれなくても、“こんな感じの色が出せたらいいなぁ”と思いながらつくる経験が、ひとつずつ積み重なっていくことに意味があるというか……。
焼いてみて、どんな器ができたかはじめてわかるのと同じように、パフォーマンスをして、自分の知らない面を知ることが自分にもあるんです。それはほとんどの場合、わたしにとってはいいことなんですよね。焼き物とパフォーマンスは全然違うと思ってたけど、重なりました」
/)
忠男さんが土をこねて、ろくろの準備をしている。今日は土がかたいなあ、やりにくいかもなあ、と言いながら。
「前に有田焼のろくろはやったことがあります、全然できなくて……」
「磁器は難しいからねえ。はい、準備できました。どうぞ」
/)
よくこねられた粘土は、鈍く静かな光を放っている。アオイさんが足でペダルを踏みながらゆっくりとろくろをまわし、指先まで意識の行き届いた手で、触れているか触れていないかわからないぐらい慎重に、粘土に手を添える。成形する助けとして、唐津のものだという牛ベラというコテを貸してもらう。ちいさな器ひとつに、豊かな文化がある。深皿をつくりたければ、器のなかに添えた手やヘラの力を少し強める必要がある。そこが難しい。
/)
「上のほうにひっぱる感じで」
「難しい」
「いや、上手だね。教えなくても大丈夫そう」
好みのかたちになったら、ろくろをまわしながら高台の下に糸を通す。ろくろから器が分離して、成形の工程はここで終わり。いつもにこやかで楽しくお喋りをしてくれる忠男さんが静かに、「ろくろを挽いていると、ほっとする」と言っていて、人生をゆくうえでの大事なことを聞いたという感じがする。
/)
/)
アオイさんが挽いた器に釉薬をかけて焼いたものは、銀座・手仕事直売所が開催される頃、アオイさんに届けられるそう。
アオイさんは、ろくろを触ったときのことをこう話す。
「手の感覚が蘇りました。自分が土を触っているようで、土に触れられているという感じがした。雅土さんも言っていたけど、どれだけ普段、自分ばっかりがコントロールしようとしているのかということに気づいて。わたし、子どもの頃、泥団子をつくるのにこだわるほうだったんですよ。手でこんなに遊べるんだ、手ってこんなに楽しいんだってことを、思い出せたような気がしました」
土も、火も、自然のものだから人の手で完全に思い通りにすることは難しい。でもだからこそ、思いがけない色や風合いをみずみずしく楽しめる二人の器。それは土や森や生き物たちと対話する暮らしの風景を、わたしたちの食卓に映してくれるような器でもある。
/)
濱田庄司記念益子参考館で“ろくろダンス”を
「益子焼」と聞いて、どんな器を思い浮かべるだろうか。素朴であたたかみのある作風が特徴として挙げられることも多いかもしれない。けれど、陶芸家であり民藝運動の中心であった濱田庄司の孫の友緒さんの妻であり、濱田庄司記念益子参考館をともに営む濱田雅子さんは、益子焼の歴史を見ると決まった定義はないのだと話す。
「はじめは信楽焼やほかの産地の写しのような作風で、益子焼という名もありませんでした。彼が益子を拠点に活動し、(益子でつくられた焼物を)紹介したことが、江戸時代末期からはじまった益子という産地を再び世に広めることにつながった、ということなのかなと思います」
/)
参考館という名のとおり、この場所は、濱田庄司が自身の作陶の参考として蒐集した品々を中心に展示している。「京都で道をみつけ、英国で始まり、沖縄で学び、益子で育った」と自身の歩みを語ることからも伝わってくるように、自分の作風に流れ込む、あらゆる土地の文化や芸術や、自分以外の人の営みから学んだこと、そのすばらしさに光を当てる場所。濱田庄司という人が、表現者でもあり、媒介者でもあったのであろうことを思わせる。
/)
1934年バーナード・リーチを招いた際、彼の工房と居室とした建物がいまも敷地内に残っている。
敷地は、広い。大谷石の石蔵を利用した展示室。最近、葺き替えたばかりだという、立派な茅葺屋根のある「上ん台」という展示室は、濱田庄司の別邸を展示棟として活用している。かつて職人たちがろくろをまわして作陶していた工房や塩釉窯、赤絵窯、登り窯もある。
/)
/)
濱田友緒さん、雅子さんの娘さんも、今年の春から陶芸の道へ。練習しながら、「自分が絵付けをするならどんなふうにしたいだろう? と考えたりしています」とのこと。
この日はここ数年で整備しているという敷地内の林から流れるミルク色のオーロラのような煙のヴェールが、一面にたちこめていた。そのなかで、アオイさんが踊り出した。からだの軸はぶれず、しなやかに手足を回転させて。ろくろそのものになったかと思えば、ろくろをまわしている人間にも見える。まわしているのか。まわされているのか。まわっているのか。どんな目線でものごとを見るかは、生きることを大きく左右するけれど、なるべくいろいろな見方のできる自分でありたいと思う。雅子さんいわく、益子音頭にもろくろをまわす振りつけがあるのだとか。
/)
濱田庄司の作品を、孫の友緒さんは、「庄司の作品は止まっているけれど、軸があって動いているように見える」と言ったことがあるらしい。アオイさんはこの日のどこかの時間に「変化することも大事だけれど、そこに軸があることは大事」と口にした。このろくろダンスは、濱田庄司の作陶と、アオイさんの踊りの精神が、時をこえて目の合うようなひとときだったんじゃないかと、振り返ってみて思う。そういうものが、この瞬間に確かにあったような気がした。
/)
/)
古いものを直して愛するということ。セレクトショップpejite
店の外観を、手のひらサイズ(それ以上かもしれない)の葉っぱがみっちりと覆う。まるでうごめく生き物のよう、と思った瞬間、植物はまぎれもない生き物なのであると思い直す。適度に管理された植物ばかりを見慣れている自分の目を洗いたくなる。この葉は、秋になると真っ赤になるのだそう。
/)
米蔵を改装した店内は、天井がすこんと抜けるほど高く、ところどころ剥がれた壁は味わいがある。栃木県で採れる大谷石を象徴的にあしらっている。
pejiteは、“仁平古家具店”を運営する仁平透さんが2014年にオープンした、手仕事を紹介するためのセレクトショップ。益子を中心とした作家の器や、自社の工房で焼き上げたオリジナル陶器、丁寧にリペアした質のいい古家具や、衣服、雑貨などが並ぶ。
/)
アオイさんが選んだのは、さきほど工房を訪れた阿久津雅土さんのボウルのようなお皿。
「はじめから雅土さんのお皿だとわかって手にとったわけじゃないんです。でも、つくった人の顔が見える人のお皿を使うことと、そうではないことでは、全然違いますよね」
/)
ふと、以前会ったときにアオイさんが身につけていた、パッチワークのバッグを思い出す。ひょんなことから文通がはじまったという88歳の女性が手づくりしたものだと教えてくれた。そのエピソードを特別な様子で話すということでもなく、自然に身につけている軽やかさが印象に残っていた。
手仕事は「あたたかい」とよく言われる。では、その「あたたかさ」とはなんだろう? 人間の手の仕事ならではの手触りやゆがみ、個別性もあるかもしれない。あるいは、つくり手の思いや、愛のようなものも含まれるかもしれない。手仕事を受け取る一人ひとりが、感じて考えることが大切なのだと思う。
その前提のもと、わたしは手仕事のあたたかさを支えるもののひとつとして、「自分とつくり手との間に、想像の橋がわたること」を加えたい。気づけば視野が狭くなってしまいがちなせわしない毎日のなかで、自分以外の誰かの営みや、遠くの景色を想像することは、異なる場所で生きる人たち同士がともに豊かに生きていくための余白や視点を増やすように思う。
pejiteのすぐ近くで、お祭りの準備が佳境のようだ。ハッピ姿の人たちがいい夜を過ごせるよう小さく祈り、わたしたちは益子の町をあとにする。
/)
帰りは、アオイさんが運転をして東京まで車を走らせる。太陽もたんと浴びて、たくさん話して、写真も撮った。充実した心地よさがあったとしても、疲れていないとは限らない。運転をかわることができないことを申し訳なく思い、少し心配したけれど、アオイさんにとっては、運転したり、お弁当をつくったり、大切な人と旅をしたりすることと、踊ったり、演技をしたりすることは、地続きなのだと感じるような一日だった。表現や創作のために、目の前の生活をないがしろにしたりはしない。地に足をつけて、生活のなかでめいっぱい五感を解放して、急ぎすぎずに感覚を研ぎ澄ませることこそが、自分や他者に誠実な態度であり、世界とつながる方法だと知っているというような。
「少し前は、自分の踊りが、社会と離れている感じがして怖かったんです。だから、手でつくられたものを羨ましく思うことがありました。そこにあるだけで必要とされるもの、というか。空間に残るものに、憧れていたんです。
でも最近は、パフォーマンスを見てくれる人も増えてきて、“4,5年前の踊りをいまも覚えています”と言ってくれる人も時々いて。それを聞いたとき、この人の記憶のなかに残っているなら、記憶のプレゼントというものができるんだ、ということに気づいたんですよね。
美術館に置かれた観賞用の作品よりも、どちらかと言うと家のなかにさりげなく飾られた花や、今日見たような、日々使われている食器や道具みたいになりたいと思います。そう考えると……民藝とも近いのかもしれない。遠いと思っていた手仕事と、一周まわってつながっていますね。おもしろいなあ」
アオイさんの踊りやパフォーマンスと、今日出会った益子の作家たちのバッグや、陶器の手仕事。それらは、「目に見えるかたちで残る・残らない」の違いはあるけれど、どちらも土地や自然や風景を届けてくれる、おたよりのような存在なのかもしれないと思い至る。それは生活に、新しい色を添え、つながりのあかりを灯す。
「pejiteで買った雅土さんの器には、スープを入れようかな? トマトを切って入れるだけでもいいかも」
新しい手仕事との出会いが、暮らしを灯す新しい記憶を増やしていく。それはきっとほとんどの場合、いいことだ。
/)
モデル:アオイヤマダ
文:野村由芽(me and you)
写真:ITO

/)