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金髪の少女が植物から作ったバスケットの中で座り込んでカバンを見つめていうる写真、周りにはいくつものかごのカバンがある

その​他|その​他

アオイヤマダ、​益子の​手仕事に​会う。​手で​つくる​こと、​踊る​こと、​世界と​つながる​こと。

手仕事に​魅力を​感じてきたと​いう、​パフォーミングアーティストの​アオイヤマダさん。​9月17日​(水)から​23日​(祝・火)に​開催される​「銀座・手仕事直売所」に​先駆けて、​栃木県・益子町を​訪れた​一日。​楮​(こうぞ)で​編まれた​「SOSAKUBAG」、​陶芸家の​親子が​営む​「創作工房 あくつ」、​セレクトショップ​「pejite」と​いった​出店者の​ほか、​民藝運動とゆかりの​深い​「濱田庄司記念益子参考館」にも​足を​運びました。​「手で​つくる​ことに​憧れが​ある」と​語る​アオイさんは、​つくる​人の​物語に​触れてなにを​感じたのでしょうか。​同行者である​執筆者の​野村由芽さんと、​アオイさんの​夫でもある​ITOさんの​写真に​よる、​日記のような​記録のかたちで​お届けします。

景色と​色を​編み込む。​SOSAKUBAGの​楮の​バッグ

6月28日、​土曜日の​朝7時前。​すっきりと​晴れた​朝、​自宅の​近所まで​迎えに​来てくれた​車の​窓から、​朝日に​照らされた​アオイヤマダさんの笑​顔が​見える。​運転しているのは、​アオイさんの​夫であり、​今日の​写真を​撮ってくれる​ITOさんだ。

「おは​よう​ございます〜!」

東京から​栃木県・益子町までは、​約2時間の​ドライブ。​銀座・手仕事直売所には​全国から​約100の​作家や​職人、​デザイナーの​手仕事が​集まるなかで、​今日は​アオイヤマダさんと​益子を​拠点に​もの​づくりに​かかわる​人たちに​会いに​行く日。

アオイさんは​「これよかったら」と​卵の​サンドイッチを​手渡してくれた。​卵の​黄色と、​きゅうりの​緑が​鮮やかで、​走る​度に​うつろう​太陽の​光を​よく​反射する。​アオイさんは、​夫の​ために​つくっている​お弁当の​写真を​Instagramに​記録している。​料理を​する​ことは​きっと、​人が​生きるうえでもっとも​身近な​手仕事の​ひとつ。

「つくっている​人の​顔が​見える​ものが​好き。​手仕事に​魅力を​感じるんです」

アオイさんは、​踊る​人だ。​そして​アオイさんが​踊る​場所の​多くは、​劇場や​舞台の​うえではなく、​路上や​漁港、​お店の​なかなど、​生活の​片隅。​これから​会いに​行く、​その​土地に​根付いた​手仕事と、​自らのからだを​さまざまな​土地と​呼応させて​生まれる​アオイさんの​踊りには、もしかしたらなにか重なる​ところが​あるのかもしれない。​高速道路を​降りると​田園が​広がった。​アオイさんは​窓を​あけて、​風を​受けながら​気持ちよさそう。

「わあ、​広い。​きれい。​青い。​益子は​はじめて​なんです。​ちょっと、​(地元の)​長野に​似てる」

栃木県芳賀郡益子町。​関東平野の​北に​位置する​この​町は、​1960年に​第一回目を​迎えた​「益子陶器市」や​「益子焼」で​全国的に​知られる。​1926年に​柳宗悦や​河井寛次郎とともに​民藝運動を​立ち上げた​ひとりである​陶芸家の​濱田庄司が​拠点に​した地であり、​焼物以外の​クラフトの​作家も​多く​集まっている。

「こんにちは。​暑いですよね。​遠い​ところまで​ありがとう​ございます」

一軒目に笑顔で​迎えてくれたのは、​楮(こうぞ)と​いう​植物を​使って​バッグを​つくる​“SOSAKUBAG”の​奥村草作さんと、​妻で​和紙作家の​奥村紗希さん。​グァ、​グァ、​グァ、と​聞こえてくるのは、​合鴨の​ペット・​コナちゃん​(5歳)だ。​益子は、​合鴨や​アヒル、​ヤギを​飼っている​人が​多いのだとか。

一人の人が合鴨を両手で持ち上げている写真、背景は自然豊か

荷物を​置いて、​さっそく​アトリエを​見せていただく​ことに。​アトリエは​屋根が​高く、​奥に​長い。​もともとは​野菜の​加工場だった​そう。

赤い服を着た金髪の女の子が青い小さな白いカーテンが見える家の玄関に入る様子を撮った写真

白を​基調に​した​空間に​パイプや​木の​構造が​剥き出しに​なっている​雰囲気が​居心地よく、​手触りの​ある​素材で​編まれた、​カラフルな​バッグが​楽しそうに​並んでいた。​アオイさんが、​ピンクと​紫の​混ざったような​鮮やかな​色を​指差した。

「わあ……かわいい。​この​色すごく​好きです」

「これは​ラックって​いう​カイガラムシが​染料。​樹液を​吸った​ときの​分泌液を​使って​染めた色です」

「自然の​染料で、​ぜんぶ​染めてるんですか?」

「自然の​染料も​あれば、​化学的な​染料で​染めている​ものも​あります。​それぞれに​出せる​色と​出せない​色が​あるんです。​自然の​染料は​色が​抜けやすく、​移り​変わる​色の​変化を​楽しめる。​化学染料は​鮮やかな​色に​染められますよ」

金髪で赤い服を着た女の子がカバンを持ち上げ見ていて、白っぽい服を着ている男性が目の前にあるカバンを取ろうとしている、白い背景

草作さんは​うれしそうに、​「僕が​つくる​バッグの​いちばんの​特徴は、​色なんです」と​言う。​その​言葉の​通り、​アトリエで​色とりどりに​手染めされた​SOSAKUBAGは、​はっと​目を​ひき、​ひとめ見たら​忘れられない​存在感が​ある。​楮の​皮の​幅が​広いため、​編まれた​様子が​ブロックチェックのようにも​見えて、​ナチュラルな​素材を​使っているけれどモダンな​塩梅だ。​ひとめぼれする​タイプの​夢に​出てくるみたいな​バッグである。

金髪の少女が植物から作ったバスケットの中で座り込んでカバンを見つめていうる写真、周りにはいくつものかごのカバンがある

「編む​ところを​体験してみましょうか」

自宅の​2階を、​編む場所と​して​使っているようだった。​ウォークインクローゼットに、​赤、​橙、​黄、​黄緑、​青……とさまざまな​色の​楮の​皮が、​ひっかけられるようなかたちで​収納されていた。​こういう​カラフルな​熱帯の​植物が​クローゼットに​生えている​みたい、と​思う。

「アオイさんの​なかで、​どんな​バッグを​つくりたいか​想像していただいて。​そのうえで、​ここから​好きな​色を​選んでくださいね」

「迷う……!」と​言いながらも​アオイさんは、​直感的な​様子で​楽しそうに​さく​さくと色を​決めていく。​選んだのは、​紫が​かった​ピンク、​ターコイズブルー、​黄緑……。

色付けした楮の皮を金髪の」女性と白い服を着た男性が見ている、女性時はしゃがみ、男性は立ちながら見ている

「アオイさんは​赤が​お好きなんですね。​SOSAKUBAGは、​地域に​よって​求められる​色が​違うんですよ。​寒い​地域だと、​水色や​黄色、​赤みたいな​ビビッドな​色の​バッグが​人気です。​僕自身は​青色が​好きなんですけど、​海が​近くない​場所で​育ったので、​焦がれるような​気持ちが​あって。​“ない​色”を​求めるのかなと​思います」

「おもしろい。​ごはんで​言うと、​自分に​ない​栄養を​選ぶみたいな​感じに​似ているのかな?​ わたしは、​紫が​かった​赤や​ピンクと​緑の​組み合わせが​好きです。​そう​いえば​前に​出会った​人が​インコを​10羽飼っていたのですが、​コンクリートの​職人さんだったんです。​いつも​仕事で​灰色ばかりを​見ているから、​インコを​見ると​すごく​癒されるって。​その​話を​思い出しました」

Bundles of colorful, dried plant fibers in shades of orange, brown, green, blue, and beige hanging vertically against a plain background.

A person with blonde hair works on a colorful craft project in a cozy, organized room filled with baskets and materials.

「手袋を​しないと​ケガの​心配が​あるのですが、​質感は​楽しめます」と​草作さんに​言われ、​素手で​編むことを​即答。​力を​込めて​編んでいく​アオイさん。

いまで​こそ、​たっぷりと​うれしそうに​自らの​もの​づくりに​ついて​語っている​草作さんだけれど、​SOSAKUBAGに​行き着くまでには、​長い​時間が​かかったのだと​教えてくれた。

「子どもの​頃は​小説家や​映画監督に​なりたかったのですが、​印刷会社で​広告の​仕事に​就きました。​その​後も、​花火師、​ライターなど​いろいろ​職種を​経験したんです。​父が​彫金の​伝統工芸士で、​母も​着物の​染色を​やっていた​ことも​あって、​どこかで​自分で​つくりたいと​いう​気持ちが​ありました。​あと、​“夫婦でしかできない​ことを​やりながら、​生活したい”と​いう​ふうにも​思っていて。

でも、​文章でも​映像でも、​あまり​うまく​表現できなかったし、​飽きっぽくて​どれも​続きませんでした。​そんな​ときに、​妻の​仕事でもある​和紙の​原料の​楮が​身近に​たくさん​あったので、​編んで​みたら​日が​暮れるまで​編み続けてしまって。​これまでの​自分には​考えられない​ことでした」

楮の皮でできたかごバックが多く置かれている場所で、男性がその中の一つのかbんを取り立っている

編み​はじめた​当初は、​いわゆる​“カゴバッグ”と​聞いた​ときに​想像するような、​編み目の​こまかい、​端正な​バッグを​編んでいた。​けれどある​とき、​いまの​SOSAKUBAGに​つながる​カラフルな​バッグが​頭の​なかに​ひらめいた。​「本当に、​天啓みたいに​降りてきたんです」。​そこから、​イメージを​かたちに​するのに​さらに​3年。​楮の​素材の​扱いや、​染めの​研究を​重ね、​納得の​いく​バッグが​完成した。

はじめは​趣味の​範疇で​ほそぼそと​つくっていた​ものが、​「わたしも​欲しい」と​知り合いづてに​評判を​呼び、​展示にも​招かれるように。​そこからは​「わらしべ長者みたいに」、​全国の​展示や​催事にも​活動の​場を​広げていく。

「降りてきた」と​草作さんは​言うけれど、​ほとんどの​もの​ごとは、​きっと​地続きだ。​だから、​「自分の​表現や、​生きる​道を​ずっと​探していた」​草作さんの​粘り強い​行動と​願いが​編み​あわされ、​実を​結んだのが、​SOSAKUBAGなのだと​思う。

二つの楮の皮でできたカバンが机に二つ置かれている様子

SOSAKUBAGは​メンテナンスにも​対応。​「おうちの​お線香の​匂いが​したり。​人それぞれの​使われ方が​出るのですが、​どんな​使われ方​も​うれしいです」

「益子の​新緑の​時期は、​葉っぱが​光を​反射して、​銀色に​なるんです」

ようやく​辿り​着いた​この​土地の​新緑は​銀色なのだと、​大切そうに​人に​伝える姿。​満たされた​心から​生まれる、​色とりどりの​バッグを​見ていれば、​こんな​ふうに​思う。​なにかに​なりたかったけれど、​なれなかった​悔しさ。​なかなか​うまく​できないも​どかしさ。​その​経験の​一つ​ひとつを​自分の​なかでなかったことに​せず、​それでも​心を​ひらく​こと。​新しい​世界に​飛び込み、​自分の​感覚に​ぴったりくる​ものを​探し続ける​ことを​諦めない​こと。​そんな​草作さんの​つくる​SOSAKUBAGは、​その​人自身の​大切な​感覚や​景色を​迎えに​行く​時間の​そばに​いてくれる​バッグなのだろう。

「アオイさんの​バッグの​続きを​仕上げて、​お送りしますね。​ぜひ手仕事直売所に​持ってきていただけたらうれしいです」

「すごく​楽しみに​しています」

二人の男性と女性がカラフルな楮の皮が並べられている場所を背景に立っている様子、女性は自分で作ったカバンの途中経過を披露している

草作さんと​紗希さんが笑顔で​手を​ふる​様子が​小さくなっていき、​「この​景色を​写真に​撮って​おきたかったな」と、​アオイさんが​噛み締めるように​つぶやく。​その姿を​見て、​こういう​ふうに​覚えて​おきたかった​景色も​きっと​また、​アオイさんの​なにかの​表現の​なかに​編みこまれていくのかもしれないと​思う。

親子で​営む、​創作工房 あくつ。​阿久津忠男さん・阿久津雅土さんの​器

車を​10分ほど​走らせ、​小高い​丘の​上へ。​次に​会いに​行ったのは、​親子二代で​「創作工房 あくつ」を​営む、​陶芸家の​阿久津忠男さん、​阿久津雅土さん。​自身も​絵付けを​していたと​いう​忠男さんの​妻の​久美子さんとともに​迎えてくれた。

作業場の前の庭に陶芸で出来上がったお皿を机に大量に並べている様子。周りは自然豊かで、緑と青が広がる。

「久しぶりです〜!」

アオイさんと​忠男さんが​会うのは、​去年の​銀座・手仕事直売所ぶりだそう。​まずは​腹ごしらえと​いう​ことで、​益子町の​隣の​市貝町の​畑で​四季折々の​作物を​育てる、​“わたね”の​夏至弁当を​みんなで​いただく。​みやまこかぶ、​春蒔き五寸にんじん、​みさきキャベツ、​島オクラ……。​献立を​眺めているだけで​舌が​うる​おい、​口に​含めれば​喉を​ころが​すのが​惜しいよう。​気に​なって​調べてみると、​わたねの​畑には、​初夏に​なると​蛍が​舞い、​日中は​キジが​親子で​駆けまわるのだとか。

「僕も​食べるのは、​はじめてでね。​喜んで​もらえて​よかった」

ずっとに​こに​こしている​様子が​印象的な​忠男さんは、​現在75歳。​益子に​来たのは​22、​23歳の​頃だと​いうから、​もう​54、​55年に​なる。​目の​醒めるような​深みの​ある​艶やかな​瑠璃釉が​特徴的だ。

「妻の​久美子と​独立しようとなって、​場所を​探してね。​山の​なかの、​この​場所に​決めた。​25歳ぐらいで​独立してね。​1年目で​東京セントラル美術館に​グループ展で​出展して。​黒田草臣さん​(陶磁器の​企画展示や、​執筆などを​おこなう。​黒田陶園代表)が​いろんな​雑誌で、​僕の​瑠璃釉を​紹介してくれた。​自分ではなにが​いいかわからなかったんだけど、​それで、​続いちゃって」

アオイさんが​尋ねる。

「忠男さんが、​どうして​青色を​選んでいるのか気に​なっていた。​さっきSOSAKUBAGの​草作さんは、​“地域に​よって​好まれる​色が​違う”、​“自分には​ない色を​選ぶ”と​言っていて」

「なんでだろうねえ。​たとえば​これは​青色ではないんだけど、​正倉院に​“白瑠璃碗”と​いう​名前の​ペルシャで​つくられた​ガラスの​碗が​あったり。​濱田庄司さんの​塩釉の​作品や、​河井寛次郎の​ベートーベンと​名づけられた​大きな​皿にも​瑠璃色の​ものが​あったりね。​そんないろんな​ことも​あって、​瑠璃釉が​好きに​なっちゃって……。​雅土は​最初は​勤めようと​思っていたけど、​やっぱり​焼物を​したね」

陶芸場で働く二人の男性がカメラの方を向き、笑っている様子、家の中で、陶芸でできたお皿などが左隅に並べられている

左から、​阿久津忠男さん、​阿久津雅土さん

「二人の​作風は、​違うんですか?」

「僕は​瑠璃釉、​雅土は​いろんな​色」

雅土さんの​陶器は、​柔らかな​青色や​緑色、​空色のような​灰色。​しっとりと​した​質感が​すべすべと​気持ちよさそう。​焼き物の​本場である​西日本で​学ぶことも​考えたけれど、​やはり​すぐに​つくりたいと​思い、​せっかく​こういう​環境なの​だから、と​益子で​制作を​はじめた。​二人とも​「栃木県窯業指導所」に​入所し、​忠男さんは​1年、​雅土さんは​釉薬を​学ぶために​さらに​1年通った。

「最初は​けんかして​大変だったね」

「でも​最近は​減ってきてるんじゃないかな」

雅土さんは​続ける。

「どちらもろくろで​日常使いの​器を​つくるので、​基本は​一緒なんですけどね。​もともとうちは、​父が​瑠璃色、​母が​絵付けを​やっていて。​当時は、​絵付けの​ほうが​華やかなんで​人気だったんですよ。​僕は​瑠璃色も​いいなと​思ったけど、​父の​真似を​して​二人して​同じ​こと​やったら​意味ないなと​思って。​指導所に​通った​ときに、​釉薬で​いろんな​表現が​できるのは​楽しいなと​感じて、​自分でも​やるようになって。​それが​テーマです」

雅土は、​何万ピースもの​釉薬の​勉強を​してね……。​お互いの​釉薬の​ことは、​わからないし、​口を​出さない。​そんな​ふうに​言葉を​交わしあう​ふたりが​確かに​影響を​もたらしあってきた​時間の​流れを、​少しだけ​お裾分けさせて​もらうのは​豊かな​ことだと、​耳を​澄ませる。

アオイさんが​ろくろを​体験すべく、​工房へ。​庭先に​並べられた​雅土さんの​大きな​バケツの​数々を、​アオイさんは​興味深そうに​じっと​眺めている。

陶芸の色付けに使用される、液体が入っている外に置かれてあるツボの周りで、男性二人がいる写真。

「これは​なんですか?」

「いろいろな​釉薬を​試した​ものを、​そのまま​置いてあります。​放置してある​みたいな​感じに​なってしまってますけど……。​焼き物って、​最後は​窯に​託すんですよね。​窯を​開けるまで​緊張します。​こうやって​時間が​経つと​釉薬の​成分も​変わっていくし。​自然物だから​コントロールできなくて。​大まかに​こういう​色を​出したいとは​考えるけど、​焼いてみたら​こうだった、と​いう​ことが​多いですよ」

ツボを開き、中の赤色の液体を見せている様子。その周りには多くの液体が入っていて、石で重しされているツボが並べられている。

「実験みたいな​感じなのかな?​ この​庭に​ある、​雅土さんの​釉薬の​パレットのような​ものが、​パフォーマンスを​する​ときの​わたしの​なかにも​あるかも、と​思いました。​器用に​整頓されているわけでもなく、​一見​放置されているようにも​見える​もの。​使う​理由もなければ、​捨てる​理由も​ない​もの。​でも​それが​自分の​パレットと​して、​自分の​なかに​たまっていくんです。

ひとつの​色を​突き詰める​プロには​なれなくても、​“こんな​感じの​色が​出せたら​いいなぁ”と​思いながらつくる​経験が、​ひと​つずつ​積み重なっていく​ことに​意味が​あると​いうか……。

焼いてみて、​どんな​器が​できたか​はじめて​わかるのと​同じように、​パフォーマンスを​して、​自分の​知らない​面を​知る​ことが​自分にも​あるんです。​それは​ほとんどの​場合、​わたしに​とっては​いい​ことなんですよね。​焼き物と​パフォーマンスは​全然​違うと​思って​たけど、​重なりました」

Two people in a workshop, one operating a large kiln. The setting is industrial with shelves and metal walls in the background.

忠男さんが​土を​こねて、​ろくろの​準備を​している。​今日は​土が​かたいな​あ、​やりにくいかもなあ、と​言いながら。

「前に​有田焼の​ろくろは​やった​ことがあります、​全然​できなくて……」

「磁器は​難しいから​ねえ。​はい、​準備できました。​どうぞ」

年のいった男性が陶芸をしている様子を金髪で青いエプロンをつけた女性が見ている

よく​こねられた​粘土は、​鈍く​静かな​光を​放っている。​アオイさんが​足で​ペダルを​踏みながらゆっくりと​ろくろを​まわし、​指先まで​意識の​行き届いた​手で、​触れているか​触れていないかわからない​ぐらい​慎重に、​粘土に​手を​添える。​成形する​助けと​して、​唐津の​ものだと​いう​牛ベラと​いう​コテを​貸して​もらう。​ちいさな​器ひとつに、​豊かな​文化が​ある。​深皿を​つくりたければ、​器の​なかに​添えた​手や​ヘラの​力を​少し​強める​必要が​ある。​そこが​難しい。

女性が陶芸をしているところを、高齢の男性が優しくそばで見守っている様子、二人とも笑顔で陶芸をしている

「上の​ほうに​ひっぱる​感じで」

「難しい」

「いや、​上手だね。​教えなくても​大丈夫そう」

好みのかたちに​なったら、​ろくろを​まわしながら​高台の​下に​糸を​通す。​ろくろから​器が​分離して、​成形の​工程は​ここで​終わり。​いつもに​こやかで​楽しく​お喋りを​してくれる​忠男さんが​静かに、​「ろくろを​挽いていると、​ほっと​する」と​言っていて、​人生を​ゆく​うえでの​大事な​ことを​聞いたと​いう​感じが​する。

できた陶芸の作品を、機械から取り外すために糸できる瞬間を写した写真

高齢の男性が陶芸をしながら、カメラ目線で家の中でいる写真

アオイさんが​挽いた​器に​釉薬を​かけて​焼いた​ものは、​銀座・手仕事直売所が​開催される​頃、​アオイさんに​届けられる​そう。

アオイさんは、​ろくろを​触った​ときの​ことを​こう話す。

「手の​感覚が​蘇りました。​自分が​土を​触っているようで、​土に​触れられていると​いう​感じが​した。​雅土さんも​言っていたけど、​どれだけ普段、​自分ばっかりが​コントロールしようと​しているのかと​いう​ことに​気づいて。​わたし、​子どもの頃、​泥団子を​つくるのに​こだわる​ほうだったんですよ。​手で​こんなに​遊べるんだ、​手って​こんなに​楽しいんだって​ことを、​思い出せたような​気が​しました」

土も、​火も、​自然の​ものだから​人の​手で​完全に​思い通りに​する​ことは​難しい。​でも​だから​こそ、​思いがけない​色や​風合いを​みず​みずしく​楽しめる​二人の​器。​それは​土や​森や​生き物たちと​対話する​暮らしの​風景を、​わたしたちの​食卓に​映してくれるような​器でもある。

A person smiling while sitting at a pottery wheel in a dimly lit workshop, wearing a brown T-shirt and gloves. The man trying to start pottery.

濱田庄司記念益子参考館で​“ろくろダンス”を

「益子焼」と​聞いて、​どんな​器を​思い浮かべるだろうか。​素朴であたたかみの​ある​作風が​特徴と​して​挙げられる​ことも​多いかもしれない。​けれど、​陶芸家で​あり民藝運動の​中心であった​濱田庄司の​孫の​友緒さんの​妻であり、​濱田庄司記念益子参考館を​ともに​営む濱田雅子さんは、​益子焼の​歴史を​見ると​決まった​定義は​ないのだと​話す。

「はじめは​信楽焼や​ほかの​産地の​写しのような​作風で、​益子焼と​いう​名も​ありませんでした。​彼が​益子を​拠点に​活動し、​(益子で​つくられた​焼物を​)紹介したことが、​江戸時代末期から​はじまった​益子と​いう​産地を​再び世に​広める​ことに​つながった、と​いう​ことなのかなと​思います」

あるおじいさんの黒っぽい背景の写真が、外の壁に飾られている様子

参考館と​いう​名の​とおり、​この​場所は、​濱田庄司が​自身の​作陶の​参考と​して​蒐集した​品々を​中心に​展示している。​「京都で​道を​みつけ、​英国で​始まり、​沖縄で​学び、​益子で​育った」と​自身の​歩みを​語る​ことからも​伝わってくるように、​自分の​作風に​流れ込む、​あらゆる​土地の​文化や​芸術や、​自分以外の​人の​営みから​学んだ​こと、​そのすばらしさに​光を​当てる場所。​濱田庄司と​いう​人が、​表現者でも​あり、​媒介者でも​あったのであろう​ことを​思わせる。

木の作りの部屋の中で、the leach roomと書かれた看板が置かれている

1934年バーナード・リーチを​招いた際、​彼の​工房と​居室とした​建物が​いまも​敷地内に​残っている。

敷地は、​広い。​大谷石の​石蔵を​利用した​展示室。​最近、​葺き替えたばかりだと​いう、​立派な​茅葺屋根の​ある​「上ん台」と​いう​展示室は、​濱田庄司の​別邸を​展示棟と​して​活用している。​かつて​職人た​ちがろくろを​まわして​作陶していた​工房や​塩釉窯、​赤絵窯、​登り窯も​ある。

金髪で青と緑の服を着ている女性が、洞窟の中からちらっと顔を出しカメラを見ている様子

女性がたくさんの陶芸の作品が周りにある工房で、陶芸を座りながらしている様子

濱田友緒さん、​雅子さんの​娘さんも、​今年の​春から​陶芸の​道へ。​練習しながら、​「自分が​絵付けを​する​なら​どんな​ふうに​したいだろう?​ と​考えたりしています」との​こと。

この​日は​ここ数年で​整備していると​いう​敷地内の​林から​流れる​ミルク色の​オーロラのような​煙の​ヴェールが、​一面に​たちこめて​いた。​そのなかで、​アオイさんが​踊り出した。​からだの​軸は​ぶれず、​しな​やかに​手足を​回転させて。​ろくろ​その​ものになったかと​思えば、​ろくろを​まわしている​人間にも​見える。​まわしているのか。​まわされているのか。​まわっているのか。​どんな​目線で​もの​ごとを​見るかは、​生きる​ことを​大きく​左右するけれど、​なるべく​いろいろな​見方の​できる​自分で​ありたいと​思う。​雅子さんいわく、​益子音頭にもろくろを​まわす​振りつけが​あるのだとか。

金髪のショートカットの女性が両手を挙げ、空に手をあげて、目を閉じながら楽しそうに上を向いている写真、外は自然で、光加減がとても神秘的

濱田庄司の​作品を、​孫の​友緒さんは、​「庄司の​作品は​止まっているけれど、​軸が​あって​動いているように​見える」と​言った​ことがあるらしい。​アオイさんは​この​日の​どこかの​時間に​「変化する​ことも​大事だけれど、​そこに​軸が​ある​ことは​大事」と​口にした。​このろくろダンスは、​濱田庄司の​作陶と、​アオイさんの​踊りの​精神が、​時を​こえて​目の​合うような​ひと​ときだったんじゃないかと、​振り返ってみて​思う。​そういう​ものが、​この​瞬間に​確かに​あったような​気が​した。

太陽の光が森林に差し込み、光と緑の神秘的な風景をしたのアングルから撮った写真、

平べったい陶芸のお皿に茶色の液体をかけている様子、

古い​ものを​直して​愛すると​いう​こと。​セレクトショップpejite

店の​外観を、​手の​ひらサイズ​(それ以上かもしれない)の​葉っぱが​みっちりと​覆う。​まるで​う​ごめく​生き物の​よう、と​思った​瞬間、​植物は​まぎれも​ない​生き物なのであると​思い直す。​適度に​管理された​植物ばかりを​見慣れている​自分の​目を​洗いたくなる。​この​葉は、​秋に​なると​真っ赤に​なるのだそう。

ショートカットの金髪の女性が、古い日本の緑が生い茂っている家の前で紙袋を持ち、右を向き立っている様子

米蔵を​改装した​店内は、​天井が​すこんと​抜ける​ほど​高く、​ところ​どころ剥がれた​壁は​味わいが​ある。​栃木県で​採れる​大谷石を​象徴的に​あしらっている。

pejiteは、​“仁平古家具店”を​運営する​仁平透さんが​2014年に​オープンした、​手仕事を​紹介する​ための​セレクトショップ。​益子を​中心とした​作家の​器や、​自社の​工房で​焼き上げた​オリジナル陶器、​丁寧に​リペアした​質の​いい​古家具や、​衣服、​雑貨などが​並ぶ。

落ち着いた、木が基盤のおしゃれな雰囲気が漂う店の中の様子、食器や帽子、服が展示されており、茶色っぽい色でまとめられている

アオイさんが​選んだのは、​さきほど​工房を​訪れた​阿久津雅土さんの​ボウルのような​お皿。

「はじめから​雅土さんの​お皿だと​わかって​手に​とったわけじゃないんです。​でも、​つくった​人の​顔が​見える​人の​お皿を​使う​ことと、​そうではない​ことでは、​全然​違いますよね」

金髪の女性が木の棚に並べられている茶色の食器に手を伸ばし、見ようとしている様子。

ふと、​以前​会った​ときに​アオイさんが​身に​つけていた、​パッチワークの​バッグを​思い出す。​ひょんな​ことから​文通が​はじまったと​いう​88歳の​女性が​手づくりした​ものだと​教えてくれた。​その​エピソードを​特別な​様子で​話すと​いう​ことでもなく、​自然に​身に​つけている​軽やかさが​印象に​残っていた。

手仕事は​「あたたかい」と​よく​言われる。​では、​その​「あたたかさ」とは​なんだろう?​ 人間の​手の​仕事ならではの​手触りやゆが​み、​個別性も​あるかもしれない。​あるいは、​つくり手の​思いや、​愛のような​ものも​含まれるかもしれない。​手仕事を​受け取る​一人​ひとりが、​感じて​考える​ことが​大切なのだと​思う。

その前提のもと、​わたしは​手仕事の​あたたかさを​支える​ものの​ひとつと​して、​「自分と​つくり手との​間に、​想像の​橋が​わたる​こと」を​加えたい。​気づけば​視野が​狭くなってしまいが​ちな​せわしない​毎日の​なかで、​自分以外の​誰かの​営みや、​遠くの​景色を​想像する​ことは、​異なる​場所で​生きる​人たち同士がともに​豊かに​生きていく​ための​余白や​視点を​増やすように​思う。

pejiteの​すぐ​近くで、​お祭りの​準備が​佳境の​ようだ。​ハッピ姿の​人た​ちが​いい​夜を​過ごせる​よう​小さく​祈り、​わたしたちは​益子の​町を​あとに​する。

緑が生い茂る葉っぱの様子をズームインで撮っている写真

帰りは、​アオイさんが​運転を​して​東京まで​車を​走らせる。​太陽も​たんと​浴びて、​たくさん​話して、​写真も​撮った。​充実した​心地よさが​あったとしても、​疲れていないとは​限らない。​運転を​かわる​ことができない​ことを​申し訳なく​思い、​少し​心配したけれど、​アオイさんに​とっては、​運転したり、​お弁当を​つくったり、​大切な​人と​旅を​したりする​ことと、​踊ったり、​演技を​したりする​ことは、​地続きなのだと​感じるような​一日だった。​表現や​創作の​ために、​目の前の​生活を​ないが​しろに​したりは​しない。​地に​足を​つけて、​生活の​なかで​めいっぱい​五感を​解放して、​急ぎすぎずに​感覚を​研ぎ澄ませる​ことこそが、​自分や​他者に​誠実な​態度であり、​世界と​つながる方​法だと​知っていると​いうような。

「少し前は、​自分の​踊りが、​社会と​離れている​感じが​して​怖かったんです。​だから、​手で​つくられた​ものを​羨ましく​思う​ことがありました。​そこに​あるだけで​必要と​される​もの、と​いうか。​空間に​残る​ものに、​憧れていたんです。

でも​最近は、​パフォーマンスを​見てくれる​人も​増えてきて、​“4,5年前の​踊りを​いまも​覚えています”と​言ってくれる​人も​時々いて。​それを​聞いた​とき、​この​人の​記憶の​なかに​残っているなら、​記憶の​プレゼントと​いう​ものが​できるんだ、と​いう​ことに​気づいたんですよね。

美術館に​置かれた​観賞用の​作品よりも、​どちらかと​言うと​家の​なかに​さりげなく​飾られた​花や、​今日​見たような、​日々​使われている​食器や​道具みたいに​なりたいと​思います。​そう​考えると……​民藝とも​近いのかもしれない。​遠いと​思っていた​手仕事と、​一周まわってつながっていますね。​おもしろいな​あ」

アオイさんの​踊りや​パフォーマンスと、​今日出会った​益子の​作家たちの​バッグや、​陶器の​手仕事。​それらは、​「目に​見えるかたちで​残る​・残らない」の​違いは​あるけれど、​どちらも​土地や​自然や​風景を​届けてくれる、​おたよりのような​存在なのかもしれないと​思い至る。​それは​生活に、​新しい​色を​添え、​つながりの​あかりを​灯す。

「pejiteで​買った​雅土さんの​器には、​スープを​入れようかな?​ トマトを​切って​入れるだけでも​いいかも」

新しい​手仕事との​出会いが、​暮らしを​灯す新しい​記憶を​増やしていく。​それは​きっと​ほとんどの​場合、​いい​ことだ。

緑が生い茂る森の中で赤い服を着た金髪ショートカットの女性の後ろ姿

モデル:アオイヤマダ
文:野村由芽​(me and you)
写真:ITO