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Ⅳ

 オトメさんがしんみりしたことを言ったので、ぼくは少し不思議な気がした。
 目の前にはすてきなモノがたくさんあって、気持ちはとてもウキウキしていて、ぜんぜんしんみりする気分じゃなかったからだ。
 ぼくらは会場を行ったり来たりして、全国各地から寄せられた手工芸品を見て回った。へえ、これを作ったのはこのひとなのかとか、ふうん、その土地にはそんな伝統があるんだねとか、なんてこまかい細工がしてあるんだろうとか、ちいさなびっくりをいっぱい見つけた。
 オトメさんはとてもうれしそうだったし、ぼくも楽しかった。
 こんなふうに心躍る今日は特別な日だって、それだけはぼくにもわかった。
「それじゃ、そろそろ、外に出てみようかね」
 オトメさんはその言葉を合図にして、屋上に飛び出した。
「まずは、不動明王さまにお参りだよ」
 屋上の一部には緑色の屋根の立派な宝殿があって、「龍光不動尊」というお不動さまが祀られている。鎌倉時代の名匠の作で、高野山龍光院で何百年も安置されていたものを、1929年に念持仏として松屋銀座にお迎えした。両脇で狛犬がしっかりお不動様を守ってる。狛犬は1969年に、寄贈されたんだって。
 建物の中も楽しかったけど、やっぱりぼくらには青空の下が気持ちいい。
 それに、お不動さまのあるところからくるっと姿勢を変えると、そこにはいろんな植物があって、ここちいい風が吹いていた。
「あ、ミツバチだ!」
 いまこそ、餌取り練習の成果を見せるとき。
 パッと飛んで、それからツバメ返し!
 ところが飛び立とうとするぼくの尾っぽを、オトメさんが踏んづけた。
「やめときなよ」
「なんで? ミツバチを取るのはぼくらの習性でしょう。飛んでる虫がいちばんのごちそうでしょ」
「そりゃそうだけどさ。お不動さまの前だからさ」
 オトメさんはぼくをなだめにかかる。
「お不動さまの?」
「さっき、話したろ。お不動さまと四つの梵字が、この空間を守ってくれてるから、あたしたちだって安心して子育てができる。ここは、都心にミツバチを呼び戻そうとして、人間たちが特別に作った庭でね。ミツバチにとっても安心できる場所なんだよ。おなかをすかせたツバメがときにここでごちそうをいただくことがないとは言わないよ。だけど、ここじゃないとこでも食事はできるんだから」
 なるほどね。
 見渡すと、レモン、さつまいも、お茶、そして綿花や和紙の原料になる楮なんて、都会ではあんまり見られない植物が、だいじに育てられている。
 銀座のど真ん中で、この場所は貴重なはずだ。
 ミツバチはここで安心して蜜を取って巣に持ち帰るんだね。
「わかった。ごはんは多摩川に帰る途中か、多摩川の近くで食べる」
 そのとき、銀座和光の時計が、ウェストミンスターの鐘を鳴らした。
「四時だ」
 オトメさんが言った。
「多摩川の集団ねぐらまでは、西へまっすぐだよ。あんたにもツバメの本能があるから、迷わずたどり着けるはずさ。もし不安になったら、飛んでいる鳥に聞きなさい。府中市立四谷小学校前のヨシ原に行きたいんですって」
「オトメさんもいっしょに行くんでしょ」
「あたしは行かないよ」
 え? なんで? 
 それがその日、いちばんびっくりしたことだった。
「あたしは今年、南への旅はしないと決めたんだ。あったかいところをいくつか知ってるんでね。ここで越冬するつもり」
「そんなことできるの?」
 オトメさんは答えずに、チュイっと小さくさえずった。
「河川敷までちょうど1時間くらいで飛んでいける。行ったらヨシ原のトンボやバッタをいっぱい食べて、夜はゆっくり休むんだよ。明日の朝は早いから、寝坊しないようにね」
「オトメさんはほんとに行かないの?」
「あと2時間もすると日の入りだ。日没前に、松屋銀座の建物は光のお化粧をするんだよ。あたしはそれを見たいの。あんたに見せられなくて残念だけど、お互い、元気で来年もここで会おうよ。ほら、行きなさいってば」
 ぼくはうなずいて、そしてチュイっとさえずり返して、オトメさんにさよならを言った。
 西の空はまだ明るくて、途中で振り返ると美しい白い建物が見えた。
 

 これは全部、去年の夏の終わりの話だ。
 今年、ぼくは銀座三丁目に戻ってきた。一回目の繁殖のときは別の場所だったけど、二回目は雄同士の闘いに勝ち、東館の人工巣で妻を待った。ほっそりした白い腰が美しい妻との間に、「夏っ子」を三羽もうけた。
 春から夏の間、ぼくはオトメさんを探したけど、会えなかった。繁殖時期で忙しく、オトメさん探しに集中できなかったから、もしかしたらどこかにいたのかもしれない。でも、オトメさんはもういないんじゃないかな。生きてたら会いにきてくれたと思うんだ。
 南への旅の途中で命を落とすくらいなら、銀座で生涯を終えたかったんじゃないかと、ぼくは思ってる。越冬する気なんか、なかったんじゃないかって。
 今年も、そろそろぼくらは南へ旅立つ。玄鳥去(つばめさる)日は近い。
 春生まれと夏生まれの子供たちを無事に南の国に連れていけたら、ぼく自身、もう銀座には帰れないんじゃないかなと思ってる。まえにも話したけど、ツバメの平均寿命は1・5歳だ。ぼくは、今年、また銀座に戻れて幸運だった。
 南への旅の道々で、子供たちにオトメさんと松屋銀座の話をしてやろうと思う。
 いまごろあそこではまた「銀座・手仕事直売所」のイベントが開催されているだろう。
 子供たちはうらやましがるだろうけど、ちびっこツバメたちを引き連れて都心のデパートに行くなんてことはたいへんすぎるし、だいいち妻が許してくれない。
 おそらく帰れないぼくのかわりに、子供たちの誰かが来年、銀座に戻って営巣してくれるといいなと思ってる。
 そうして生まれた「春っ子」や「夏っ子」に、ぼくの子供が話をするんだ。
 オトメさんの先祖は、松屋銀座の開業の日を見たんだよって。
 屋上の不動明王さまが、みんなを守ってるんだよって。
 ぼくらと銀座の日々は、いつだって一期一会なんだよって。

                                                おしまい