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森さんちに、​おじゃましました​ “北欧” 経由、​暮らしを​楽しむ​「これで​いいんだ!」の​アイデアvol.45

はじめまして。​北欧の​旅や​暮らしの​情報を​発信している​森百合子と​申します。​北欧の​国々を​旅するようになって​15年ほどが​経ち、​わが​家には​布や​食器など​北欧モノが​増え、​旅先では​部屋づくりや​暮らしに​役立つヒントにも​たくさん​出会いました。​これから​月に​1回ほどの​ペースで、​わが​家で​取り入れている​北欧経由の​暮らしの​アイデアを​ご紹介していきたいと​思います。​どうぞよろしく​お願い​いたします。

お終いと​はじまり

この​夏は​片付けの​夏でした。​夫と​わたしそれぞれの​実家で、​そしてわが​家で、​ひたすらに​片付けを​する夏。​わたしの​実家では、​亡くなってから​ずっと​先延ばしに​していた​母の​遺品や​台所の​品々を​総ざらいして、​残すもの、​処分する​ものに​仕分けして、とにかく​物を​減らしました。

片付けの​途中で、​裏紙に​走り​書きしたような​メモが​出てきました。​いえ、​メモと​いう​よりは​紙一面の​文章です。​それは​母の​筆跡で、​もしや​秘密の​告白?​ 読んでいい​ものか……と​迷いつつも、​ぱっと​見では​読みにくい乱れた​文字を​追ってしまいました。​当時、​お世話に​なっていた​筋力トレーニングの​先生への​文句に​始まる​文章を​読んで、​ああ​これは​やっぱり、​ぶつけどころの​ない​思いを​綴った​ものだと​察しました。

その​文章の​なかに、​実家近くの​商店街に​あった​毛糸屋さんが​閉店する​ことが​書かれていました。​商店街で、​毛糸が​買える​最後の​店だった​こと。​それを​家族に​伝えた​ときの​各々の​返答、​反応までが​書いて​あったのです。

父​「ぼくに、​なんで​そんな​話を!?」

姉​「探せば、​ほかにも​あるんじゃない?」

兄​「ふーん、​うん、​うん、​そうか​あ……」

わたしは​知らんぷり。

「翌朝、​どうにも​悲しくて​涙が​止まらなくなった」

母の​乱れた​文字の​終わりには​そう​書いてありました。​「この​人たちは、​わたしの​人生の​1/2を​知らないんだ」と​つづく​言葉に、​胸を​押さえつけられたような​思いに​なりました。

わたしの​実家は、​もともと​母の​実家です。​母が​亡くなった​あと、​用事を​済ませに​商店街を​歩いた​とき、​懐かしさと​ともに、​母は​わたしが​生まれるよりも​ずっと​前から​ここを​歩いていたんだな、といまさらながら​気づいた​ことを​思い出しました。

あの​走り​書きの​メモは​一体、​いつ頃に​書いた​ものだろうか。​末っ子の​わたしも​俎上に​乗せていると​いう​ことは、​話が​通じる​年齢には​なっていたでしょう。​当時の​母の​年齢に、​いまの​わたしは​だいぶ近づいているはず。​商店街で​最後の​一軒だった​毛糸屋さんが​閉まってしまう​ことの​悲しさを、いまなら​共感​できたのに。

片付けの​途中、​母の​箪笥の​奥深くから​ビニール袋に​入った​大きな​塊が​出てきて、​なかを​見ると、​姉やわたしの​ために​母が​手編みして​作った​小さな​カーディガンや​ニットの​ドレスが​入っていました。​そう​いえば、​わたしが​中学生の​頃に​編みものを​したいと​相談したら、​あらゆる​サイズの​編み針を​見せてくれた​こともありました。​ごめん、​ごめんね。​ごめんなさい。​いまごろ​謝ってもしょうが​ないのに、​そう​繰り返していました。​母とは​たくさん​いろんな​話を​した​気が​するけれど、​思えば​わたしが​話を​聞いて​もらっていたんだなあ。​子どもの​頃なら​いざ知らず、​大人に​なっても​その​調子で、​わたしは​母の​言葉を​聞いていなかった。

昨年、​夢中で​観ていた​朝の​ドラマでは、​家庭に​入った​女性は​無能力者と​みなされ、​責任能力が​制限される……​そんな​古い​時代が​描かれていて、​ドラマを​観ながらわたしは​毎朝、​主人公と​一緒に​怒っていました。​相続や、​父の​介護と​いう​家族で​向き合わなければいけない​事柄を​経験して、​そうした​価値観が​まだ​脈々と​受け継がれているのを​自分でも​感じて、​そのたびに​怒っていました。​でも​母が​遺した​メモを​読んで、​わたしも​また母の​言葉を​ちゃんと​聞いていなかった​こと、​母の​声を、​家族が​聞こうと​していなかったことに​気付かされたのでした。

これは​実家から​持ってきた、​母が​愛用していた​ポットです。

長い​こと​ホーロー製品だと​勘違いしていましたが、​改めて​調べてみたら​耐熱強化ガラスセラミック製だと​わかりました。​母は​夏に​なると、​よく​これで​アイスティーを​作っていました。​熱湯で​紅茶を​入れて​砂糖を​たっぷり​溶かした​ところに​氷を​ざーっと​入れて​一気に​冷やし、​仕上げに​レモンを​しぼる。

その​味が​大好きで、​自分でも​手持ちの​ガラスポットや​陶製ティーポットで​何度か​試したのですが、​どうしても​母の​味に​ならない。​それが、​これで​作ったら​懐かしい​味に​なりました。

夏の​終わりに​ちょうど、​母を​慕ってくれた​学生時代からの​友人たちが​遊びに​来たので、​実家から​持ち帰ったばかりの​母の​器を​使うことに。

ピクルスを​入れたり、​サーモンを​並べて​出した​ところ、​友人たちも​「ママっぽいね〜!」と​一緒に​盛りあがってくれました。​リボンの​模様が​描かれた​大きな​ガラスの​ボウルは​使い方に​悩みましたが、​夫の​発案で​冷製スープを​入れてみました​(暑い​日に​ぴったりの、​よい​アイデアでした!)。

今回の​片付けではいよいよ実​家じまい​(ではないのですが)、​そんな​気分で​母の​台所から、​えいやと​たくさん​食器を​持って​帰ってきました。

そんな​わけで、​わが​家の​食器棚も​総点検して、​迎え​入れる​ための​場所を​つくる​必要が​あったのでした。​実家に​あたりまえに​あった​器が、​こうしてわが​家の​食器棚に​並んでいるのを​見ると、​懐かしさが​半分と、​ちょっぴりセンチメンタルな​気持ちにも​なります……が、​心機一転。​パーティ用の​器も​増えたし、​今度は​何を​入れようか、​どう​使っていこうかと​考えています。

青い​ドレスの​木製人形も、​箪笥の​奥から​出てきた​もの。

この​形、​この​色づかい、​おそらく​これは​……と​底を​見たら、​やっぱり​メイド・イン・​デンマークでした。​母が​結婚した頃は、​日本の​デパートで​北欧の​食器や​生活を​彩る​ものが​扱われるようになった​時期。

子どもの頃、​誕生日会で​決まって​出てきた​パンチボウルが​じつは​スウェーデン製だった​とか、​お正月に​使う​特別な​器が​ロイヤルコペンハーゲンだったなど、​デザインの​知識を​つけて、​やっと​気づいた​こともありました。​「北欧の​器っていいよねえ」と​母と​話が​できるようになったのは、​この​仕事を​して​よかったと​思う​ことの​ひとつです。​……​それに​しても、​なぜ​人形が​箪笥の​奥から​出てくるんでしょうね。

バックナンバー

森さんが​教えてくださった、​暮らしを​楽しむ​「これで​いいんだ!」の​アイデアは​他にも​たくさん!

vol.44​「夏の​楽しみを、​北欧に​学ぶ」

詳しくは​こちら

vol.43​「抵抗する​テキスタイル」

詳しくは​こちら

vol.42​「冬の​終わりの​家時間」

詳しくは​こちら

vol.41​「猫の​いる​場所」

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vol.40​「風通しの​いい​キッチン」

詳しくは​こちら

vol.39​「バック・トゥ・ヒュッゲ」

詳しくは​こちら

森 百合子 mori yuriko


北欧5ヶ国で​取材を​重ね、​旅や​暮らし、​デザインの​情報を​中心に​発信。​著書に​『3日で​まわる​北欧』​(トゥーヴァージンズ)、​『北欧​おみや​げ手帖』​(主婦の​友社)、​『いろはに​北欧 わたしに​“ちょうど​いい”旅の​作り方』​(ダイヤモンド・ビッグ社)​ほか。​執筆活動に​加えて、​NHK Eテレ『趣味どきっ!』、​NHK 総合『世界は​ほしい​モノに​あふれてる』など​メディア出演や​講演を​通じて​北欧の​魅力を​伝えている。