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ファッションライターLulu.の「美しいは嬉しい」vol.30
ファッションって知的好奇心を満たし喜びをもたらしてくれるんです。内面のいちばん外側がファッション。
(本記事でご紹介するアイテムは、松屋でお取り扱いのないものもあります。)
2026/08/04
パリのクチュリエから広まった魅惑のコスチュームジュエリー(前編)
こんにちは。
今回から2回にわたり、コスチュームジュエリーを綴ります。
松屋銀座で開催された「Meet Jewelry」(2026年4月8日-14日)に出店されていた、コスチュームジュエリー専門店〈ギャラリークアン〉さんにお話を伺いました。
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コスチュームジュエリーとは
コスチュームジュエリーとは、貴石や貴金属など高価な素材を使わず、自由に美しさを追求したジュエリーのこと。
Miriam Haskell(ミリアム・ハスケル)
ファインジュエリーのデザインの多くは、ダイヤや真珠といった素材をいかに美しく魅せるかということに重点が置かれます。初めに石ありき、です。
対してコスチュームジュエリーはまずデザイン。このデザインを具現化するために必要な素材は何か、という発想から始まります。なので貝やガラス、フェイクパール、木など多様な素材が使われます。
素材の制限が取り払われると、価格はもちろん、ある程度重さからも解放されます。
デザイナーの描く世界を表現するためには、素材を熟知した高度な職人技が求められます。
コスチュームジュエリーは安価な素材を使用した安物ではなく、コスチューム(衣装)に合わせ、身につけた時の全体のイメージを表現するためにデザインされたジュエリーなのです。そう、コスチュームジュエリーはパリのクチュリエから広がりました。
Christian Dior by Mitchel Maer (1950年代)
パリのクチュリエから広がったビジューファンタジー
クチュリエにとってジュエリーは服と切り離せない存在。ドレスに合わせたジュエリーが毎シーズン発表されます。
女性の身体を窮屈なコルセットから解放したのが、20世紀初頭のパリで活躍したクチュリエ、ポール・ポワレ(Paul Poiret)。この流れを女性の視点で受け継いだのが、ガブリエル・シャネルです。
〈シャネル(Chanel)〉
シャネルの革新は、女性を動きやすくすること。
カーディガンなどの男性的なアイテムや、ツイードや男性の下着にしか使用されていなかったジャージー素材などを女性のワードローブに取り入れました。
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ウェストミンスター公爵と過ごした時間から生まれたと言われている、シャネルのツイードジャケット。
シャネルが手がけたビジューファンタジー(仏語でコスチュームジュエリーの意)は、高価な宝石を使わなくても、美を表現することができるのを証明しました。シャネルは、素材がどうであれ、それを美しいと感じるのであれば価値があるという美学を確立します。
パリの老舗ガラス工房 グリポワ社(Gripoix)にシャネルが製作依頼したジュエリー。
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極細の金線にガラスを流し込むパート・ド・ヴェール技法を持つグリポワ社。
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メタル枠にガラスをハンドセットしたブローチ。独特の青緑の色出しが素晴らしい。
チェーンにも細かな細工が施されており、その完成度と美しさは既存のジュエリーに対する概念を覆しました。
カール・ラガーフェルドの時代になってもその美学は受け継がれ、圧倒的存在感を放つコスチュームジュエリーが製作されました。
〈スキャパレリ(Schiaparelli)〉
シャネルが唯一ライバル視したデザイナーとして知られるエルザ・スキャパレリ。自由奔放でエキセントリックな感覚の持ち主であるエルザは、ショッキングピンクを堂々とコレクションに登場させ、ダリやコクトーなどの芸術家と交流し、次々に独創的なスタイルを生み出します。
ダニエル・ローズベリー率いる現在のスキャパレリのボックスもちゃんとショッキングピンク。
大胆な色使い、ガラスの形と質感の組み合わせが独特なスキャパレリ。
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ギブレガラスと呼ばれる縞模様のガラスが特徴的なイヤリング。ガラスの配置、強弱の付け方が見事。スキャパレリらしい一品。
緑の発色が麗しいイヤリングとネックレス。ガラスに葉脈が丁寧に表現されています。
メタル部分にも細工。葉っぱなのでしょうが、私には昆虫の一部に見えました。昆虫をドラマチックなジュエリーに昇華したスキャパレリらしい作品。
父は王立図書館長を務めたオリエント学者、伯父は高名な天文学者というローマの裕福な家庭で育ったスキャパレリ、孤児院で育ったシャネル。空想的で大胆なスキャパレリ、情熱的で独立心旺盛なシャネル。共通項は自分自身に忠実であること。それは己の上質を知っていることであり、言い換えるとエレガンス。
〈クリスチャン・ディオール(Christian Dior)〉
1905年1月21日、グランヴィルの名士の家に生まれたクリスチャン・ディオール。ドイツ占領下のパリで、ドレスの顧客はドイツ軍という状況下、ムッシュ ディオールは静かに美を生み出す仕事に従事し、フレンチモードを守り続けます。
1947年に発表したドレスは「ニュールック」と称され、女性らしさへの回帰を訴え、戦後のファッションに大いなる希望を与えました。
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ニュールックの象徴とも言える「バー」ジャケット
ディオール自身がデザインしたのは限られたオートクチュール顧客向けでした。今手にできるものの多くはディオールとライセンス契約した各国のデザイナーが製作したもの。バイエルン出身の鍛冶師ヘンリー・シュライナー(Henry Schreiner)、イギリス在住のアメリカ人デザイナーミッシェル・メイヤー(Mitchel Maer)、フランスのグリポワ社製などです。
1959年製
ライセンス商品だからといって優美さに遜色はありません。色出しの美しさ、身につけた時のバランスなどその意匠は素晴らしく、クチュールメゾンである「Christian Dior」のエレガンスが散りばめられています。
ノルマンディーにある家の庭園を、自然と草花を愛したクリスチャン・ディオール。現在もディオールのコレクションやブティックはいつも草花たちで彩られ、ハチは毎シーズン登場します。パリ本店「30 モンテーニュ」のカーテンにもハチさんがいました。
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深い青をまとったハチのブローチ。強烈に美しい。
1980年代頃
コスチュームジュエリーの背景には戦争がちらつきます。どんな状況でも美しいものに対する情熱を持ち続けた人たち。彼らの残してくれた美を大切に愛でたいと思いました。
さて、舞台はアメリカへと移ります。ファーストレディが愛し、VOGUE誌を賑わせたコスチュームジュエリーは次回に。
続く。
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Lulu.
2010年~2021まで11年間、VOGUE JAPAN でブログを執筆。馬と博物学的世界、ムー的世界を愛し、不思議を視たい!と旅に出て、「好き」と「感動」を掻き集める。高校時代に障害飛越にのめり込み、今はたまーに外乗を楽しむ50代。現在はnoteで発信。

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